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第一回:「To je jedno:どちらでも」
チェコの象徴プラハ城。宇多田ヒカルのCDジャケットにもあった
チェコ人の口癖に「To je jedno」というのがある。多くを望んでいないのだ。
直接日本語にすると「それは一つ」という意味で、「どちらを選んでも同じことだ」「どっちでもいい」というときに使う。
日本に観光に来た人、仕事に来た人のあいた時間にせっかくだから何か案内でも、と思って、どこかへ行く? 何か日本のものを食べる? と訪ねるとこれが返事で帰ってくる。
「どれだって同じだよ」。
でもこれはあきらめじゃなくて、本当に人生を悟っている含みがある言葉。
チェコにもあるねこやなぎ
人間はこだわる。とくに日本にいると時間や〆切やコンセプトや購買層など、いろんなものを仕事でするのに、制約がある。だけど、チェコ人はそれがないのだ。
だから、どうしても行かなくてはいけないものは仕事でお金に直結するものだけで、余暇をどう過ごすかについては、チェコ人はとくに考えがない。というより、休んだり、本を読んだりするほうが好きだったりする。
プラハ郊外の邸宅。壁には線画がレンガのように描かれている
観光に行くと日本人は「あれも見なきゃ」「これも見なきゃ」と思ってガイドブックを持っているけど、チェコ人がガイドブックを持つのは、かんたんな日本の知識を得ることと、日本語で「チンピラ」「コギャル」などという俗語を発音してみせて、相手を笑わせることだったりする。
それ以外のことはどうでもいいのだ。東京タワーが高い。そうか。めずらしい熱帯の魚が。趣味で集めている人なら感動するけど、そうでなければ素通りだ。
「どれだって同じだよ」。
そういう言葉が、日本人の「あれ見なきゃ」「これ見なきゃ」とは対極にあるように感じる。「これ見なきゃ。4時までだから急いで」って、チェコ人にはない。「え、開いてない? 残念だけど、時間があればまた見られるだろう。じゃあビールでも飲もうか」。
この展開を私はとても美しいと思う。急いでバスを探したりタクシーを探したり、そんな旅行が楽しいだろうか。
オープンサンドのサラミやハムはびっくりするくらいおいしい
チェコ人はコンビニで買ったおにぎりとビールで、節約して、川原のベンチで景色を楽しみながら、簡単な日本の風習について会話を楽しむ。それが彼らの時間の使い方だ。
「どっちでも同じだよ」。だって日常は、こちらが見つけようとしたら、いくらでも美しいものにあふれているから。
日本人は見つけるのが下手、というか、慣れていないのかもしれない。
cukrarnaは甘いもの屋さん。コーヒーとケーキが食べられる
毎回、チェコ人のすてきなエピソードを紹介したい。小さいけど、小さすぎてクスリと笑ってしまうようなものを教えたい。
「どっちだって同じだよ」。だって僕らが動いたって世界はもっと大きくて、その場の努力なんてちっぽけすぎる。それより、世界に身をまかせてみないか。私たちは選ばないでいい。ただ、そこにあるものを美しいと思う余裕だけもっていたら、「どれだって同じ」価値があるのだ。 |
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