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注意 この手紙は読んでから食べること。

第七回通信 やぎの怖いモノ

拝啓 白やぎ様

白やぎさん、お久しぶり!
今年は秋が遅いですね。
11月というのに、まだ紅葉の気配もありません。

さて、白やぎ黒やぎ通信、ひさびさの復活でございます。
長いブランクにドキドキし
ながら、
この手紙を書いています。
今回、白やぎさんに久々のお手紙を送ろうと思ったのは、
私のふるさと、新潟に大地震が起きたためです。
そう、やんわりとお気づきでしょうが、
今回のお題は「怖いモノ」。
お互いの怖いモノをカミングアウトしてみるのはどうでしょう?

「地震・雷・火事・親父」といえば、
日本の4大怖いモノ(まぁ、最近は父権の失墜とか言われてますが)。
私自身は実際の揺れを経験していませんが、
地元にいる家族や友達は、2004年の中越地震と今年7月の中越沖地震、
想像を絶する体験を通算2回も味わっていることになります。

そこで、彼らの証言をわかっている範囲で整理してみました。

(1)地震発生時、たまたま戸外にいた母は
  プッチンプリンのようにブルブル震える我が家を目撃。
  家の中にいた父は、ピアノやテレビがひとりでに前進するのを
  なすすべもなく見守った。
(2)台所で料理をしていた友人、地震の衝撃で吹っ飛ばされる。
  と同時に、頭上に置いてあった土鍋が床を直撃。
  そのまま台所に立っていたら頭をやられていたとのこと。
  その後、家からの脱出を試みるも、
  玄関先に置いてあった水槽が割れてしまったため、
  生き残った魚を救け出し、風呂場の窓から逃げる。

(3)親類T、家の壁が落下。道路の亀裂に車が落っこちる。

(4)電気、ガス、水道が止まる。
  8月の猛暑の最中もなかなか完全復旧せず。
  自衛隊風呂や市外温浴施設などにもらい湯に行く日々が続く。
  自衛隊の支援による水を食用に、
  雨水などを生活用水にしてしのぐ。
  井戸などを持っている家は、
 「生活用水あります 皆さんご利用ください」などの
  看板を立て、水を周辺家屋に分け与えていた。

(5)原子力発電所で火災発生。
  地元にいた友人は、翌日までこの火災を知らなかった。

(6)友人宅の付近にある焼却場の煙突が真っ二つに割れる。
 「折れた煙突が家を直撃しそうで怖かった」とのこと。

(7)市内であちこちの寺社、家屋が崩壊。
  黒やぎ家の菩提寺も墓石がたくさん倒れていた。
  私や友達が子どもの頃遊んだ神社も庫裏が崩壊。

(8)元体育教師の男性が寺の下敷きになり死亡。
  この男性は姉の母校に在職しており、
  担任ではなかったが面識はあったとのこと。
  死亡した男性の息子は、私の高校時代の体育担任だった。
  遺族としてテレビに映し出される先生は、
  憔悴しきっていて見ているのが辛かった。
  地震を味わっていない私が
  辛いなんて言ったら、罰が当たるのだろうけど。

(9)市内各所の橋、道路が寸断。
  電車が脱線。海沿いの線路が土砂崩れにより埋まる。

(10)商店街に出店していた知人の店が全壊。

(11)友人の母、負傷。
 
私自身、お盆に帰省した時、道路にはみ出るようにして
グチャグチャに壊れた家を何件も見ました。
道路の亀裂や隆起もたくさんありました。
港や公共施設に駐屯している自衛隊キャンプからは
戦場のにおいがして、「ああ、こりゃあただごとじゃないな」と
いう実感が迫ってきたものです。

私にとっての怖いモノは、地震そのものというわけではありません
(いや、地震そのものももちろん怖いですけど)。
地震によって、今まで築いてきた大切な人やものが
いとも簡単に、あっけなく壊れてしまうことが何よりもおそろしい。
それを肌で感じた、苦い夏でした。

復興には時間がかかると思いますが、
市内のあちこちには元気な貼り紙がありました。
「全国の皆様、ご支援ありがとうございます。
私達もがんばります。」
この心意気がある限り、人間は負けない。
どんな怖い目に遭っても、乗り越えられる。
そう思います。

白やぎさんには、地震の時大変お世話になりました。
いろいろありがとう。
ふるさとが元気を取り戻したら、ぜひ遊びに来てね。
お待ちしてます。

草々頓首




黒やぎさま

こんにちは。
お久しぶりのお手紙、とてもうれしかったです。

さて、今回のお題の「怖いモノ」。
私もまったく黒やぎさんに同感です。
大事なものを奪い去られることが、他の何よりも怖い。
それは、地震のように突然起こるものでなくても、
前もって予期していたことでも、やはり同じなのです。

私ったら、やぎのくせに長いあいだ猫を飼っていたのですが、
その猫が去年の春、心臓発作で亡くなってしまったのです。
黒やぎさんには、前にちらりとお話ししましたっけね。

猫は亡くなる半年ぐらい前から、ときどき苦しそうにしていて、
あるとき夜中に激しい発作を起こしたので、
近所のお医者さんをたたき起こして診てもらったんです。
幸いにもそのお医者さんがとっても良い方で、
いろんな症例を調べたり、動物医仲間にも聞いてくださったりした結果、
心筋症による発作だということがわかりました。
同時に、今の医学では治療法が確立されていないということも……。

「今度大きな発作が起こったら危ないですよ」

そう言われて、うなだれながら真冬の夜道を帰ったのを覚えています。

結局、猫は無事に冬を越しましたが、桜の季節に息を引き取りました。
覚悟していたので、思ったほどのショックはありませんでしたが、
それからしばらく、私は眠れなくなってしまったのです。
というのも、夜になると必ず私の腕まくらで猫と一緒に寝ていたので、
ベッドに入ると、その場所にぽっかりとした隙間ができることに、
どうしてもなじめなくて。
お恥ずかしい話ですが、そんなとき、
私は猫の骨壷を抱いて眠りについていました。

故郷の母にその話をすると、

「昔、沢村貞子っていう大女優がいたの知ってる? 
彼女は早くに旦那さんをなくしちゃったんだけど、
その骨をお墓に入れずに骨壷に入れたまま家に置いていて、
出かけるときにぱかっと開けて
『行ってきます』、
ご飯食べる前にまたぱかっと開けて『ご飯だよ』とか
話しかけていたらしいよ」
という話をしてくれて、それでとても救われた気持ちになりました。

ルームメイトも心の底から悲しんでくれて、
猫の思い出話をしながら一緒に泣いてしまったこともありました。
私の旅行中などにえさをあげてくれていたルームメイトに、
猫もずいぶんなついていたのです。
そうしてともに喪失感を味わってくれる人がいるのは、
大きな支えでした。

私の敬愛する書き手、内田樹のことばにこんなものがあります。
「人々が集まったとき、ある人がいないことに欠落感を覚える人と、
その人がいないことを特に気にも留めない人がいる。
その人がいないことを『欠落』として感じる人間、
それがその人の『家族』である。
その人の欠落感の存否は法律上の親等や血縁の有無とは関係がない。
家族とは、誰かの不在を悲しみのうちに
回想する人々を結びつける制度である」。

そういう意味では、
私たちにはきっとたくさんの家族がいるのですよね。
失うことは恐ろしいことですが、
その欠落を共に悲しむことのできる「家族」がいる限り、
私たちは本当の意味ですべてを失うことはないのだと思います。

新潟の人たちも、
きっといろんなところで「家族」が応援してくれているはず。
活気のある街の姿を取り戻す日を楽しみにしています。
そしたら、あなたの街のおいしい魚を食べに連れてってくださいね。

白やぎ拝

第七回通信
やぎの怖いモノ

第六回通信
年末年始事情

第五回通信
ここがヘンだよやぎの家

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