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注意 この手紙は読んでから食べること。

第四回通信 非日常な装い

拝啓 白やぎさま
白やぎさん、いかがお過ごしですか?
梅雨時は、私たちの食糧である紙たちが湿気を含んでへたれてしまうので、
あまりありがたい季節とは言いがたいですね。
あの上質紙のパリパリッとした食感が早く戻ればいいと思いながら、
このお手紙を書いています。
これもある意味、雨の慕情と言えるのかもしれません。

この前は突然の訪問にも関わらず、お宅に泊めてくれてありがとう。
我が家ではいまだにDVDが観られないゆえ、
念願の「地獄に堕ちた勇者ども」が白やぎさんと一緒に拝めてうれしかったです。
マルティン役のヘルムート・バーガーが、マレーネ・ディートリッヒを真似た
女装姿で「ローラ」を歌いながら登場するシーンは圧巻でした。
ヘルムート演じる「彼女」の姿には、理性や常識といった
この世のあらゆるたがをぶっ壊すくらい異様な凄みがあって、
「ああ、カブくという行為はこういうことなのかもしれない」と
思わず息を呑んでしまいました。

そこで今回は、私たちの身近にある異装についてお話しようかと思います。
最近町のそこかしこで、ゴスロリや萌え系コスプレの少女を目にしますが、
異装の歴史は遡ってみると案外に古い。
大昔の神話や民話などにも、勇者が女装して敵を油断させる、
なんてシーンが繰り返し出てきますし、
歌舞伎とか宝塚とかも、言ってみればみんな「異装」なんですよね。
そう、私たちは小さな頃からごく自然な形で
「異装の文化」に接しているわけです。

私にとっての異装との邂逅は小学校時代。
地元に住んでいた「ドン・ピエロ」と呼ばれる
不思議なおじいさんとの出会いにまで遡ります。
ドン・ピエロは静かな田舎の中でもひときわ目立つ傾奇者でした。
トレードマークはハンチングに色眼鏡、化粧を施した顔は
今でいうビジュアル系のはしりと言えなくもありません。
スーツのジャケットにド派手なピエロのブローチをつけて、
花魁道中よろしく威風堂々と街中を歩くのが常でした。
確か本名はあったはずなのですが、誰もその名では呼びません。
子どもから大人まで、なぜか彼のことを「ドン・ピエロ」と呼び、
一種好奇の目で見守っていたものです。

ドン・ピエロは神出鬼没です。
どうやら卓球の名人だったらしく、市内の総合体育館や隣町行きのバスの中で、
誰彼かまわず話しかけるドン・ピエロの姿をたびたび目撃しました。
その卓球の腕が注目を浴びて、新聞に取り上げられたこともあります。
「秘技・白鳥の舞」という必殺スマッシュを華麗に決める
彼の写真が大写しで載っていたことを覚えています。
自然食や健康に関する本も出版していたようで、
たまたまバスで隣に座った人に、
自著を売りつけようとしていたこともありました。
とにかく、言動もファッションもすべてがパンク。
「何だか知らんがえらい風変わりなじいさんがおるわい」と
地元の中学生のひそかな人気者でもありました。
窮屈な片田舎で、世間体を気にしながら細々と生活する地元の人々は、
どこまでも自由な一匹狼のドン・ピエロを、
もしかしたら憧れの目で見ていたのかもしれません。

ドン・ピエロは異装という越境行為を通じて、
私たちに扉を示していたのかもしれない。
それは新しい自由世界への入り口なのか、
現実から脱け出すための突破口なのか、
はっきりとはわかりませんが、
生涯異装を貫き通した彼のみぞ知る世界があったことは確かです。
ドン・ピエロは生涯独身のまま、数年前にたった一人で亡くなりました。

ヘルムート・バーガーの青白い微笑を見るたび、
なぜかドン・ピエロの後ろ姿を思い出します。
ド派手なピエロのブローチをつけて、しゃなりしゃなりと歩く傾奇者の後ろ姿を。
今年ももうすぐ、彼の命日がやって来ます。
白やぎさんは「異装」と聞いて、思い出すことはありますか?
何だか妙な質問になってしまいましたが、お返事くださるとうれしいわ。
ではでは。
草々頓首


黒やぎさま
こんにちは。
ちょうどさっきニュースで、「世界コスプレサミット」なる催しが
私の故郷で行われるというのを聞いたところです。
正直言って少し複雑な心境ですが、徳川宗春たちの生まれた地ですもの。
今更何をか言はんや、ですわね。

ちなみに、私の地元のドン・ピエロ的人物は「セーラー服おじさん」でした。
テレビにも度々取り上げられるほどの有名人で、
本当は高校教師だという風の噂もありました。
彼はその名の通り、セーラー服を着て街を闊歩するおじさんなのですが、
ルーズソックスなど、きちんと当時の流行り物を押さえることも
怠りませんでした。
ただ、そんなにも欲望に自由に生きている彼なのに、
頭はなぜか8:2分けのバーコード。
「そこだけ世間の常識にとらわれて、覆い隠してしまうなんて」
と若かりし日の私は思ったものでしたが、
ひょっとするとあのバーコード頭も、
彼のコーディネートの一部だったのかもしれません。

ともあれ、異装が何らかの新しい扉を開いてくれる行為であることは
間違いないように思います。

前回のタイ旅行の話にも関連しますが、
私がアジアの国々が大好きになったのも「異装」が入口でした。
たった数週間で、私たちに鮮烈な印象を残して旅立っていった秋田先生。
大学のワークショップという授業の初回で私が目にしたのは、
彼女が運んでくる民族衣装の山でした。
興味津々に見つめる生徒たちに、
彼女は「あなたはこれ、あなたはこっち」とそれらの衣装を
次々にあてがっていきます。
5分後、着替えを済ませて教室に戻った私は、周りの光景に目を奪われました。
清潔感のある深い藍染めや、引き締まった漆黒の衣、
多種多少な柄がパッチワークのように縫い合わされている衣や、
色鮮やかな朱色の衣。その袖や裾を飾る繊細な刺繍。
それらの衣の上から、さらに色とりどりの布を頭や腰、
首などに巻いたクラスメイトたちの驚くほど魅惑的な姿。

いつもグッチの色つきメガネをかけてすました顔をしている男の子も、
エビちゃんスタイルを地で行くようなおしゃれでかわいい女の子も、
いつもの仮面がすっかりはがされてしまったかのように、
アジア人の血を匂い立たせています。
私もその服に身を包んだとき、
まるで自分の前世を垣間見たかのような奇妙な懐かしさや、
不思議な気分の高揚を感じていました。

それは、インドネシア=天然ゴムと石油、
などと記号的にアジアを理解していたそれまでの授業とは
まったく異なる体験でした。
自分とルーツの近い人々が、こうやって世界のどこかで、
全く違う文化の中に暮らしているという実感。
そのとき、新しい扉が私の前に開いたのだと思います。
その授業を受け持っていた秋田先生は、
自分の担当期間が終わるとすぐに講師の職を辞して海外へ旅立っていきました。

洋装が極めて一般化している私たちには、もはやあまり実感もないですが、
本来装いというのは、その形や模様の成り立ちひとつひとつに
歴史が刻み込まれているものであり、
そこに暮らす人々のアイデンティティの拠りどころに
なるべきものなのでしょうね。
だからこそ、私たちはその歴史の枠組みをぶっ壊し、
お仕着せでないアイデンティティを確立した傾奇者たちに
ヒロイックなものを感じてしまうのかもしれません。

ねえ、もし私たちがワードローブを全部交換して、
日常でプチ「異装」をしはじめたとしたら、
私たちには何か変化が起こるのかしら?
ちょっと想像してしまったわ。ふふふ。
いつかそんなことをしてみても面白いかもしれませんね。

ではでは、長雨で心まで湿ってしまわないように。
また遊びましょうね。
かしこ

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ここがヘンだよやぎの家

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