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注意 この手紙は読んでから食べること。

第三回通信 心に残るうた

黒やぎさま
春がやってきて、すっかり冬眠していた私の細胞も長い眠りからさめたようです。
少しずつ空の青さが濃くなるにつれて、気分もすがすがしさを増してきました。

「青空」、黒やぎさんが好きなザ・ブルーハーツの曲にもありますね。
私にとって、あれはとても思い出深い曲です。
19歳の夏、私はふと思い立って、とあるボランティアツアーに参加しました。
それは、タイの農村にある小学校へ新しい校舎を建てるお手伝いに行く、というもので、2週間その学校に寝袋で寝泊りし、食事は自炊、お風呂は雨水、というちょっぴりワイルドなツアーでした。

そこでは、まったくの素人である私たちが、土を運び、土壌をならし、セメントを練り、壁を塗りこめていきます。
一緒に作業をしていたタイ人の大工さんはおおらかで、鉄筋が1、2本折れてしまっても(そもそも鉄筋が何故あんなに簡単に折れたのでしょう?)、
「マイペンライ(気にするな)」と、歯の抜けた顔でにかっと笑っていました。
小学校の先生や生徒たち、そして村の人々も興味深そうにしょっちゅう見学にやってきて、いつのまにか私たちはことばの壁を越えてすっかり仲良くなっていました。

学校で寝泊りし、平日はずっと校内で建築作業をしている私たちでしたが、作業のあと、夕食の時間までは唯一学校の外へ出ることが許されていました。
高床式の簡素なつくりの家が、長く伸びた砂利道に沿って点在している鄙びた村。
ぶらぶら歩いていると、
いろんな人が「うちで生まれた豚の子ども見においで!」とか
「ご飯食べていきな」とか声を掛けてくれます。まさにウルルン滞在記。
途中でもらって食べた、もち米を笹でくるんで蒸したおやつのおいしかったこと!
かと思えば、うっかり口にすると顔が変形しそうに辛い食べものが出されることもあって、そのロシアンルーレットのようなスリルをも私たちは楽しんでいました。

陽が落ちて、お年寄りのツアー参加者が寝静まったあとも、
若者たちの夜は長く続きます。
皆どこからともなく食堂やグラウンドに集まって、尽きることなく話をします。
あるとき、1人の男の子が買出しのついでに真っ赤なギターを買ってきて、
それからはときどき皆で歌をうたうようになりました。
彼が好きだったからなのか、それしか弾けなかったのか、
選曲はいつもブルーハーツ。
なかでも「青空」という曲が定番になりました。

そして、私たちがタイの人に負けないぐらいこんがり焼けたころ、
気がつくと2週間が過ぎようとしていました。

最後の日は学校関係者と村中の人が学校に集まって、別れの儀式が行われました。
小学校の生徒たちはみんな泣いていて、
激辛フードを食べさせてくれた村のおばさんも
泣きながら、「私の娘よ!」と言いながら抱きしめてくれました。
その村では、子どもが結婚するときに腕に白いひもを巻く風習があるのですが、
村の人たちはまるで愛おしい子どもにそうするように、私たちひとりひとりに
ひもを巻いてくれました。
皆でひとしきり食べたり踊ったりするうちにも、
どんどん別れのときが近づいてきます。
そして最後にギターの男の子の伴奏で歌ったのが、
私たちの定番になった「青空」。

生まれたところや 皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう

という歌詞が、あんなに胸に響いた夜はほかにありません。

黒やぎさんには、心に残るうたがありますか?
ときどきふと、その歌詞や響きを思い出して味わってみたくなるような。
白やぎ拝


拝啓 白やぎさま
白やぎさん、たいへんです。
NHKの「みんなのうた」で、ノッポさんが
「グラスホッパー物語」という曲を歌ってるのですって。
ノッポさんは幼少期の私の憧れのアイドル。
そのノッポさんが、バッタのおじいさんに扮して朗々と童謡を
歌っているのです。すご〜く気になるのですが、
なにせ「みんなのうた」から遠ざかってはや幾とせの身の上ですから、
まだ一度も拝聴したことはござりませぬ。

はてさてふむ。話が脱線しましたが、ここからはいよいよ本題。
私の気になる1曲は、北原白秋の「曼珠沙華」です。

この詩に出会ったのは中学生の時ですが、
それ以来私の嗜好は一変したような気がします。
本でも音楽でも映画でも、何にしろ原始的な恐怖が肌で感じられるような、
一種凄みのある作品が好きになりました。

くだんの「曼珠沙華」の歌詞は、ざっとこんな感じ。

GONSHAN. GONSHAN. 何処へゆく。
赤い、御墓の曼珠沙華、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。

GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数。

GONSHAN. GONSHAN. 気をつけな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。

GONSHAN, GONSHAN 何故泣くろ。
何時まで取っても曼珠沙華、
曼珠沙華
恐や赤しや、まだ七つ。

ねえ、何だかこわい歌だとお思いになりませんか?
こわいけど、美しい。美しいけど、こわい。

私は昔から墓地をひとり歩きするのが好きなんですが、
誰かのお墓の片隅でひっそりと咲く曼珠沙華は、
そういえばどこか孤高で、得体の知れないおそろしさを
秘めているような気がします。
人びとの顔がはっきりと判別できなくなる夕暮れ時のことを
彼誰時(かわたれどき)と言いますが、
あの赤い赤い花には、彼誰時の夕闇がよく似合いますね。

曼珠沙華の季節にはまだまだ遠いので、
今宵は桜の花でも愛でながら、月夜にダンスとしゃれこみませう。

草々頓首

第七回通信
やぎの怖いモノ

第六回通信
年末年始事情

第五回通信
ここがヘンだよやぎの家

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