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注意 この手紙は読んでから食べること。

第二回通信 一番おいしかった食事

拝啓 白やぎさま
白やぎさん、お久しぶり。
先日は、ついに東京にも雪が降りましたね。
こたつの中で丸くなりながら、「おう、じゃんじゃん降りやがれい!」
と勢い込んでみた、ヘタレな私でございます。

寒くなると、おいしいものが食べたくなりますよね。
そう、春はあけぼの。冬は食いだめ。
「冬眠には食糧が必要なのじゃあ!」と変な理屈をつけて、
日々豊かに肥ゆる私なのでございます。
そういえば、食べ物のことで思い出したのですが、
私には、一生脳裏に焼きついて離れない、至福の味があるのです。

それは、昔むかしに祖父が焼いたとうもろこし。
子どもの頃から縁日が大好きだった私は、
露店でしか買えないしょうゆ味の焼きもろこしがとりわけ好きでした。
甘くてシャリシャリしていて、ほんのりしょうゆ味の焼きもろこしは、
お祭りの時しか食べられない、特別なおやつだったのです。

食欲とは、最も原始的で最も貪欲な人間の生理的欲求。
したがって、ないものねだりが始まります。

あの味を縁日以外でも食べられたらいいのに。
おうちでもあの味が作れたら素敵なのになあ。
でも自分のおうちで作ったら、きっとあんな風に
おいしそうな焦げ目をつけたり、香ばしくはできないんだろうなぁ。

無理なのに食べたい。無理とわかれば、なおいっそう食べたい。
そんな欲求不満にムズムズしている私を不憫に思ったのでしょうか。

ある時、祖父がいきなり魚焼き用の金網を引っぱり出してきて、
とうもろこしを焼き始めたのです。
祖父は障子貼り用のはけを使って、何度も何度も根気よく、
とうもろこしにしょうゆを塗っては焼いていきます。

できあがった焼きもろこしは、ほんのり幸せの味がしました。

「すごーい、露店のおじちゃんみたいだねぇ」と喜ぶ私を見て、
うれしそうに笑いかけてくれた祖父。
そのおひさまみたいな笑顔が、実は私にとって何よりの好物だったのです。
そのことを祖父は、知っていたのでしょうか。
だから、いつも黙って焼きもろこしを作ってくれたのでしょうか。
今では、遠い昔のできごとでございます。

祖父は9年前に亡くなり、あの焼きもろこしの味は
もう食べることの叶わぬ、幻の味となりました。

願わくば、もう一度あの味を。
そんなないものねだりをせずにはいられない、
相変わらず欲求不満の私なのでした。

白やぎさんにとって、一番おいしかった食事って何ですか?
ぜひとも教えてたもれ。
草々頓首



黒やぎさま
おいしそうなお手紙をありがとう。
春がもうそこまで近づいていますね。
寒いと食べものがおいしい、なんて言いながらも、実は年じゅう食欲旺盛な私たち。馬肥ゆるのは秋だけのようですが、やぎは年中痩せるひまがありませんわね。

さて、おいしかった食事といえば、思い出すのはたらの芽の天ぷら。
子どもの頃、毎年夏休みと冬休みになるといつも、岐阜の奥地にある祖母の家に遊びに行っていました。その村は(たぶんいまだに)コンビニひとつないような田舎で、その代わり、裏山に登ればたくさんの食料が手に入るようなところなのです。
ある年、「たらの芽を食べにおいで」という電話があって、いちどだけゴールデンウイークに遊びに行ったことがありました。そのときは友達も一緒だったのですが、もちろん私たちはふたりともたらの芽を食べたことがないので、楽しみでしかたありません。

祖母の家につくと、さっそくおじに連れられて山へたらの芽を摘みに行きました。
「とげとげがあるのがたらの木だよ」
と教えられ、宝探しをするように目をこらす私たち。
森の入り口辺りはすでに摘み取られたものもありましたが、奥に行くにつれて手つかずの木がいっぱい見つかります。うれしくて手当たりしだい摘み取ろうとする私たちに、おじさんは最低でも1つの木に1つの芽を残しておくものだ、という山のマナーを教えてくれました。

途中、高くて澄んだ鳥の鳴き声が山に響きます。
「あれはミソサザエという鳥だよ。カツオー、ワカメーって鳴くんだよ(もちろんウソ)」とおじさんに教えられ、私たちは「カツオー!」「ワカメー!」と絶叫しながら、山の中を歩き回りました。夕方までに、かごにいっぱいのたらの芽がとれました。

私たちが収穫したたらの芽は、料理上手なおばさんの手によって、さくさくの天ぷらになりました。いつも食べなれている天ぷらと違って、塩で食べるようです。
ちょっと都会派を気取っていた私の友達は、「私少食だから、あんまり食べられないかも……」といいつつ、食卓につきました。

が、ひとくち食べたその味といったら!
濃厚な初夏の香りとほのかな苦味が口のなかに広がって、ミスター味っ子に出てくる味皇のように口から光線が出そうなおいしさです。しかも、塩で食べることで、その風味がいっそうくっきり感じられるのです。私たちは箸まで食べつくしそうな勢いで食事を平らげました。少食だと自己申告していた友達も2、3杯はおかわりしたでしょうか。その後、彼女がその家で長く「自称少食さん」と呼ばれたことは言うまでもありません。

そうそう、その村では鮎も名物で、その日は鮎の塩焼きも食卓にのぼっていました。これはいつの間にとってきたの?と私が聞くと、おばさんはいたずらっぽく笑って、
「朝、川に行って、水面に浮かび上がってきたのをすくいとったんだよ」
と言います。
私は、すごい、おばさんは熊みたいな人だ!と、長くそれを信じ込んでいました。
本当は近所でおとり鮎をもらってきたんだと、つい最近知ったのですが……。
いつか、黒やぎさんをこの村へご案内してみたいものです。
白やぎ拝

第七回通信
やぎの怖いモノ

第六回通信
年末年始事情

第五回通信
ここがヘンだよやぎの家

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