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「機転について考える」(2)

「なぞかけ」グランプリ
 そういえば噺家さんと話をしているとその機転に「舌を巻く」ことが往々にしてある。

 今をときめく柳家喬太郎師匠がまだ前座で「さん坊」を名乗っていた頃、彼の師匠であるさん喬師匠の応援をしていた知人がとある駅で山手線に乗 ろうとするとそこに「さん坊さん」がいた。知人の顔をみつけるやいなや彼の放った一言が

 「おや、今いらっしゃるんじゃないかと思って、どうぞずっと奥まで」

 だったという。この逸話を知人から聞いたときには素直に「うらやましい」と思ったものだ。

 できるならその一言は僕が言われてみたかった、ということだが同時にその機転の利かせ方には羨望と同時に尊敬の念を抱いた。僕にはとうていで きない芸当である。

 考えてみると寄席芸のひとつ「なぞかけ」はこの「機転を利かせる芸」の最たるもので、「〜とかけて〜ととく」「そのココロは」というのを延々 と聞いていると、その機転の見事さに舌を巻くうちに、それが「尊敬の念」に変わっていくのを自覚することになる。

 もちろん全部が秀逸というわけではなくて打率はよくて3割強、「ヘタクソ」なものも多いけれど、僕が今まできいた「なぞかけ」の中で最も好き なのが柳家さん喬師匠のこれである。お題は「ウグイス」。

 さん喬「ウグイスとかけて」
 司会 「ウグイスとかけまして」
 さん喬「『田舎のお弔い』とときます」
 司会 「そのココロは」
 さん喬「啼き啼き梅に来ます(泣き泣き埋めに来ます)」

 これには舌を巻いた。「お弔い」のところが江戸っ子風に「おともらい」と発音されたことも相まって今のところ僕の「心のなぞかけグランプリ」 第一位だ。

 日本語にはこの「なぞかけ」という文化が長く残っていて、例のテレビ番組(笑点です)を含めて人気は衰えることがない。手元にある「ことば遊 び事典」にはその名作が多く収録されているので少し再録しておく。「なぞかけ」。正しくは「三段なぞ」という(ちなみに「二段」もある)。

・「明日の天気」とかけて「風呂敷包み」ととく
 そのココロは「開け(明け)てみなければわからない」

・「勲章」とかけて「蝋燭」ととく
 そのココロは「暗い(位)によってつける」

・「酒呑み」とかけて「狸の金玉」ととく
 そのココロは「また一杯(股いっぱい)」

・「雀」とかけて「道真」ととく
 そのココロは「巣が藁(スガワラ)」

・「夏の夕涼み」とかけて「楠木正成」ととく
 そのココロは「足利(足、蚊が)攻める」
(東京堂出版「ことば遊び事典」)

 云々。どうです。中にはクダラナイのもあるけれど、なかなか面白いでしょう。日本のことば遊び文化は深いのである。ちなみにさん喬師匠の「泣き泣き埋めに来ます」もこの辞典に載っていた。なんだ。褒めてソンした(笑) 

 まぁ偶然の一致でしょう。そういうことにしておく。さん喬師匠を含む噺家さん達の「機転」に対する尊敬の念はいささかも揺るぐものではござい ません。

<つづく>

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

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