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「追憶のナイアガラ」(1)

『三つ子の魂』
 先日「大瀧詠一Best Always」が発売になった。欲しいけどなかなかねぇ、と昔の音楽経験を振り返っていたら「そういやアレもあったコレもあった」とこもごも思い出したので、この際なのでついでにひと通り書いておこうと思いたった。誰も僕の「音 楽体験」なんかに興味はないかもしれないけど、「時代の記憶」の備忘録として書いておく。サッと書きますのでおつきあいください。

 生まれたのは昭和30年だからまさしく昭和ど真ん中世代。昭和30(1955)年はかのクレイジーキャッツがグループを結成した年で、幼稚園の園庭で「スーダラ節」(1961)を唄っていた記憶があるから何となく時代の想像をつけてもらえると思う。

 その頃はテレビが家に来るか来ないかの時代で、「朝食の友」はテレビではなく、ラジオ。こちらも1955年に放送を開始したラジオドラマ「サザエさん」(サザエさん役は市川寿美礼〜横山道代)を聞くのが毎日の習慣だった。

 その頃ラジオから流れていた曲と言われて真っ先に思い出すのは井沢八郎(工藤由貴のお父さん)の「北海の満月」で、この曲が発表されたのが1965年だから、まだ小学校入学の時点ではテレビは導入されていなかったと思われる。

 したがって当時の僕の耳に入ってきたのはラジオと8歳年上の兄が聴くレコードの音楽で、ハリー・ベラフォンテ、キングストン・トリオ、ブラザース・フォア、エルビス・プレスリーなど。今に比べると「日常生活に流れる音楽の量」は圧倒的に少な かった。

 ところが1963年に我が家へ到来したテレビによって音楽試聴環境は一変、日本のポップスに触れることになる。以前に書いた「サン・レモ音楽祭で優勝した曲の日本語カバー」を聴いたのも主にテレビからである。

 この頃の「音源」としてのテレビ番組は主に「シャボン玉ホリデー」、「ザ・ヒットパレード」、「夢で逢いましょう」の3つ。これらの番組で聞いた楽曲についての詳細は前にも書いたことがあるので省くが、ここへ来て思い出すのはこれらの曲に加えて聞いていたイージー・リスニングおよびビッグバンド系の音楽があったことだ。

 グレン・ミラー、ウディー・ハーマン、トミー・ドーシー、ベニー・グッドマン、スタンリー・ブラック、ビリー・ヴォーン、ベルト・ケンプフェルト、ニニ・ロッソ、アルフレッド・ハウゼ、ペレス・プラード……などで、僕の西洋音楽についての素養 はこの辺りの楽曲が担っている。彼らが演奏する音楽がラジオやテレビから流れてくるのを空気のように吸っていたのだろう。

 「そんな音楽がテレビから?」と思われる向きもあるかもしれない。しかし今では「バラエティ番組」というと「よく知らないタレントの悪ふざけ」のことを差すようになってしまったけれど、先ほど上げた3つのような番組ではこれらの楽団やそれをカバーした日本のバンドが演奏する曲に合わせて「ダンサーが踊るコーナー」がかならず挿入されていたのである。

 ビートルズに触れるのは第1回東京オリンピック(と書かねばならなくなりましたね)が開催された1964年、そして1966年の来日公演をテレビで見たことも前に書いた。とはいえ前回「現住所はロック」と言ってはみたものの、こうしてよく思い出してみると、個人的な西洋音楽のルーツは「ロックンロール」ではなくこちらの方だと推測されるのだ。

 「ああ、だから」と思いが至るのは、ガレージパンクやオルタナティブ・ロックよりもスイート・ソウルやミドル・オブ・ザ・ロードの方へついつい手が伸びてしまうことが多いからで、その食指の伸ばし方の原点にはおそらくこの辺りの学習があったか らだろう。

 「三つ子の魂百まで」だ。

<つづく>

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

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