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「なにもなくなっちゃった話」。構想はできてるんですけどもなかなか思うように時間がとれず更新できなくてすんません。そこで谷口主宰にお願いして、人知れず連載しているWEBコラム・過去ログの再録で当面お茶をにごさせていただく(「茶柱」だけにw)ことにしました。長々と書いておりますが文末には「かんたんレシピ」のイラストも。おヒマな折にぜひどうぞ。



「はいコチラ酔っぱライ部」(12/17掲載分)
「キツネと猫のばかしあい」の巻

 落語に「猫の忠信」という演目がある。通称「猫忠」。

 先日足を運んだ落語会で久しぶりにこの演目を古今亭志ん輔師匠の高座で聴いてなんだか懐かしかった。懐かしい、という感慨を覚えるにはある事情がある。

 というのもこの噺は落語でありながら歌舞伎を見るきっかけになった演目だったからで、初めて聞いたのは20代後半、TBSテレビで早朝に放送していた「おはよう名人会」という番組、6代目三遊亭円生師匠の高座だった。

 この時点で圓生師匠はすでに亡く、この頃聞いた師匠の「牡丹灯籠」や「淀五郎」などはおもしろいとは思うけれど、いまひとつピンとくる噺家さんではなく、今では録音を聴いては「ううむ」とうなってしまう師匠の高座も、おそらくは落語に加えて人生の経験も乏しい若輩の身には、噺の呼吸や話芸の序破急が理解できなかったのだろう。

 しかしそんな万事に経験の浅い頭でも「おもしろい!」と思える演目がいくつかあって、それが「水神」やこの「猫忠」だった。「水神」を聴いては噺の最後で圓生師匠が体現する「烏」の所作に落涙し、「猫忠」ではそこはかとないおかしみにじんわりと笑みを浮かべて聞き終えた。数少ない「コレハイイ」と当時思った師匠の高座の中でも録画したこの2演目は夜中に一人で酒を飲みながら何度も見ては楽しんだものである。

 これがどう歌舞伎見物へとつながったかは僕が結婚した年、22年前の出来事になるのだが、とにもかくにも今回はそのお話。



*

 まずは「猫忠」のあらすじから。

 詳細はこちらにもありますが、 僕もかんたんに書いてみます。

 清元のお師匠さん延静のところへ下心丸出しで通う江戸っ子職人、次郎吉と六兵衛。ある日稽古所へ出かけ、スケベ心に行水でもしてやしないかと塀外の節穴からのぞいてみると、二人の兄貴分・常吉が師匠といい仲になっている。

 ふられた悔しさに常吉の自宅へ出かけ、兄貴の行状をヤキモチ焼きのおかみさんに告げ口をすると、まんまとヤキモチに火はついたものの「それはいつのことか」と聞かれて「今見てきたばかりだ」というと、なぜかおかみさんの怒りは鎮まってしまう。

 というのも常吉は数日前から体調を崩して家に伏せっているので二所(ふたところ)に同時にいられるわけがないからで、事実3人がやいやい騒いでいるところへ常吉も起きてきて「どうもこのところおかしなことが続いている」という。

 今し方見てきた様子を聞いた常吉が「さてはモノノケの仕業であるか」と次郎吉、六兵衛、の二人を伴って、延静の稽古所へ出かけてみるとはたしてそこには常吉に瓜二つの人物が延静と盃を酌み交わしている。

 えい、とばかりに三人が踏込(ふんご)んで顕(あらわ)れた偽・常吉の正体は延静愛用の三味線に張られた猫皮の子供、親にひと目逢いたさに常吉に化けて師匠のところへ入り込んだ次第、とことのすべてを吐露して平謝り。

 「こいつぁできた!」と喜んだのは次郎吉で、この顛末は近々開く「清元おさらい会」の演目「義経千本桜」の「四段目(通称・「四の切」)とそっくりで「おさらい会」は成功間違いなしだと言い出した。というのも

 「四の切の登場人物、亀井六郎、駿河次郎、が六兵衛と次郎吉で吉野屋の常吉が義経」

 だからそのまま舞台に瓜二つだという。それに応じて六兵衛から「なんでぇ静御前がいねぇじゃねぇか」と問われた次郎吉が「延静ししょうが静で決まり」と決めつけるので「こんな年増に静御前なんか似合いませんよ」と延静は自らの不明も含めて恥じていると、畳に顔をすりつけて謝っていた猫がおもむろに頭を上げて「似合う(ニャウ)」……。

*

 これを20代後半に初めて聞いて覚えていたと思っていただきたい。それから数年、1991年に36歳で結婚した年、たまさか「歌舞伎好き」だった妻に連れられて足を運んだ歌舞伎(ほぼ)初体験の国立劇場、その日の演目が「義経千本桜」だったのだ。

 実は「猫忠」で演じられる猫が正体を現すクダリはこの芝居の四段目最後(通称・四の切)「川連法眼館の場」の全くのパロディで「狐が静御前の持つ鼓の皮の子供である」という設定をそっくりいただいたモノ。

 しかるにそれと知らずに見ていた36歳の僕は、「親を思う子狐の気持ちに涙を誘う」この場面で、圓生師匠の「猫忠」の高座を思い出して観客席の上でひっくり返って笑ってしまったのだ。

 あの日、周りの席にいた皆様は「四の切」で笑うとはなんたる不謹慎」と思ったことでありましょう。申し訳ない。実はこういうわけだったであります。許されよ。

 見終わって舌を巻いたのは「歌舞伎で書かれた脚本の巧みさ」とさらにそれを貪欲に吸収する「落語のしたたかさ」で、帰宅の車を運転しながら感心することしきりだった。

 こんな具合にパロディの出典を知らずともキチンとおもしろいと思えるように作られた話芸の質もさることながら、「出典を知っていれば『猫忠』でもっと笑えたはずなのに」といささかの悔しさを覚えたのが発端。

 しかるに「これからは落語の出典元として引用される歌舞伎ももっと見なくては」と思ったのはいささか本末転倒かだけれどきっかけとしては充分で、以来「歌舞伎見物」の習慣が始まったというわけであります。

*

 ところで落語演目に登場する歌舞伎の演目にはこの「義経千本桜」の他にもたくさんあって、「中村仲蔵」、「七段目」、「四段目」、「淀五郎」などには「元禄忠臣蔵」のエピソードが深く関わっている。 後に歌舞伎を見るようになって、これらの噺を聴くときに、さらに興が深くなったのは言うまでもなく、さらに歌舞伎見物の経験を重ねていくと、落語の演目である「らくだ」や「芝浜の皮財布」が新作歌舞伎の演目として取り上げられたりしていることを知って嬉しくなったものだ。

 このように二つの異なる伝統芸能に深い関わりができたのは、歌舞伎役者が落語ファンだったのか、噺家の方が歌舞伎好きだったのか、おそらくは双方向だったのは容易に想像がつくところで、伝統芸能とは言えいささか旧式な言葉でたとえるなら「クロスオーバー」、今風に言えば「ボーダレス」な相互作用はどちらにとっても有意義だったと喜んだのである。

 こうして「落語をもっと楽しみたい」と始めた歌舞伎見物。落語・歌舞伎の双方を知っていれば「おもしろさが倍増する」のは間違いのないことで、いずれは歌舞伎に登場する「能・狂言」の要素も吸収したいと思うようになっているのは、時を経て歌舞伎そのものもより深く知りたくなったと思われて、どうやら歌舞伎の方でも「病膏肓に入った」らしい歴20ン年(歌舞伎見物歴のことをこう言うんだよね)のアタクシであります。

 というわけで歌舞伎見物ハジマリ顛末のオソマツを読んでいただいた今回は忙しいこの時にピッタリの「かんたんレシピ・エノキとワカメのマヨ和え」を。サッと湯がいてマヨネーズ。黒胡椒をきかせていただきます。



そういや京都、しばらく行っていないなぁ。もう何年になるかしら。

【Panja MEMO】

●川連法眼館の場(youtube)
先代・三代目猿之助(現・猿翁)の忠信と玉三郎の静御前
こんな映像をサクッと見られるなんて、便利になったものです。
落語の「猫忠」の出典になっているのは「1の終わり〜2のはじめ」、「狐忠信の見顕し」の部分。

1 義経千本桜〜四段目1
2 義経千本桜〜四段目2
3 義経千本桜〜四段目3
4 義経千本桜〜四段目4
5 義経千本桜〜四段目5

●6代目三遊亭圓生「猫忠」
うえに同じ(笑) 便利になりました。
http://www.youtube.com/watch?v=O1I5hTL_KOk

●初めて見た国立劇場・当時の演目
 結婚した年の12月でした。狐忠信は菊五郎さんだったらしい。
<国立劇場1991年12月>
文化デジタルライブラリー
第170回歌舞伎公演

「ゆれる防衛本能」
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