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【オムニバス】
「何も無くなっちゃった話」第二話(1)

「なにもなくなっちゃったな」
桧山不動産営業2課、課長の久保田はそういって感慨深げに
更地になった土地を眺めながら彼の下で働く藤本に言った。

「なに、上物(うわもの)が古い木造モルタルですからね、
 鉄筋と違って固くて深い基礎があるわけじゃなし、あっけないもんですよ」

住宅街の真ん中。歩道のない幅7mの道路から直角に伸びる路地は
ランド・クルーザーならやっと一台通れるくらいの細い行き止まりで、
20mくらい入って突き当たるその土地は40平米と言うから
12坪ほどの広さである。

しかし、結果的には相続にも問題のなかったその土地を
桧山不動産が買い上げるまでには並々ならぬ苦労があった。
登記簿にある所有者が行方知れずで連絡を取って
土地の処遇が決まるまでに1年半という時間を要したのだ。
土地の法定相続人にあたる60代後半になるその男性は
そこに住んでいた男性の一人息子で、幼い頃に母をなくして
父親と二人暮らしだったようだが、父親と上手く行かない理由が
何かあったのだろう、大学を卒業すると早くから父親との縁を切って
没交渉だったらしい。

さらにそれ相応の地位を築いた勤めを定年前に早期退職し、
海外(ハワイ)に移住して悠々自適の生活を送っていたため、
久保田からの連絡を受けるまで父親の物故についても
まったく知らなかったくらいである。
相応の金額を提示すると相続人は一も二もなく承諾し
、 桧山不動産の物件として扱うことにはなんの問題もなかった。
古い木造の家屋を撤去するとき気になったひとつの問題をのぞいては。

「で、その穴はなんだったんだ?」
三方を大手建設会社の建て売り住宅に囲まれた土地を眺めながら
久保田は藤本にたずねた。
「奥の部屋の床下をめくったときにあった穴ですか?」
「そうだよ。なんでそんなところに穴が空いてるんだ」
「地下水をくみ上げるポンプの痕(あと)ですかねぇ。
 それにしちゃ直径10センチは小さすぎますけど」
「穴はそのままか?」
「少し土を入れてみたんですが埋まらないんで、
 1mほど掘り下げたところに鉄板入れて蓋しておきました。
 その上から土盛ったんで今は穴はわかりません」
「だいじょぶなのか、そんなんで」
「まぁ10cmですからねぇ。基礎打つときに杭打てば
 だいじょぶなんじゃないですか」
「ううむ」

鉄筋コンクリート建築のための基礎工事。
以前よく目にした杭をガンガンと打ち込む「打撃工法」は、
実はかなり古い方法で、現在は工事中に周囲へ及ぼす影響を考慮して
行われていない。代わりにあらかじめ穴を空けておいて杭を入れる方法や、
杭自体にネジ山のような加工を施してねじ込んでいく方法が主である。
今回桧山不動産が建設を依頼している建築会社の工法は、
前者にあたる「穴空け工法」なので、むしろその穴を空けるのが
いくぶん楽になって助かるくらいのものである。
穴の位置も申し分ないという。

道路側から見渡せる三方の家はこの土地に面した壁面に
せいぜい小さなはめ殺しの採光窓を設けるくらいで
これといって大きな窓を設置していない。おそらくここに住んでいた
所有者の父親が回覧板も受け取らず周囲との接触を
極端に嫌うかなりの変わり者だったので、
関わりを持ちたくなかったのかもしれない。

「ずいぶん変わった爺さんだったらしいな」
「あまり会ったことのある人はいなかったみたいですよ」

ゴミ屋敷、と言うわけではない。没後に警察と役所の人間が
入ってみた家の中の様子は簡素で特に異様なものではなかったらしい。
単に「人嫌い」だったのだ、という形で周辺住民は納得した。

それでも周囲とさしたるトラブルもなかったとはいえ
「中で何をしているかわからない」のは近くで暮らす人々にしてみれば
あまり気持ちのいいものではなかっただろう。
その「変わった爺さん」は道端でしゃがみ込んでいるところを
救急車で搬送され、けっきょく搬送先の病院で息を引き取った。
死因は急性肺炎、警察の調べで92歳だったことが後になって知れた。

行き止まりの道路に面した5m幅の左右に四本の棒を立て、
そこに「住宅建設予定地」という札をかけて二人はいったん引き上げたが、
藤本の頭にはひとつだけ引っかかることがあった。
久保田から指摘されたその穴を見つけたとき、
中から音がしていたことである。

「みょ〜」

ヘンな音だったな。なんの音だろう?
藤本の脳裏に焼き付いて離れないその音が
彼の心にさざ波をたてていた。
           
<この項 つづく>

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

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