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【オムニバス】
「なにもなくなっちゃう話」第一話

「なにもなくなっちゃったね」
2メートル四方ほどいわゆる「猫の額」のような庭の一部、
土だけになってしまった場所を見ながらシノブが言った。
「今年はニガウリもキュウリも雄花ばっかりで実がつかなかったなぁ。
 ならないうちに枯れちゃったよ」
野菜好きのコーヘイが残念そうに言う。

「ウリ同士の寄せ植えにしたからかな。
 トマトと茄子は近くで育てちゃダメっていうじゃない?」

「あれは茄子を収穫した後は
トマトを植えちゃダメっていうんじゃなかったっけ。
 成長に必要な養分が似てるんだよ、きっと」

「そういえばトマトって茄子科なんだってお母さんが言ってたわ。
 ここで育てるのは初めてなんだからしょうがないよ」

小さいけれど庭がついている、という理由で借りた
アパート一階角の部屋はシノブとコーヘイが
一緒に住み始めて一年ほどしかたっていない。

四畳半とと八畳、ふた間のアパートの八畳間の一面は
大きな窓になっていて、幅5センチという申し訳ほどの「濡れ縁」から
庭へおりられる。おりて3歩も歩けばブロック塀で、
その向こうには隣の木造家屋の窓のない壁面があるのだが、
あまり高い造りの家ではないので陽当たりは良好だ。

「やっぱり二人とも仕事でいそがしくて
水やりできなかった日が多かったからだよな」

「今年の夏、暑かったもんね」

シノブは窓のサンの上に腰を下ろして空を見上げている。
目の前をシオカラトンボが通り過ぎる。
日曜の午後、秋の気配が感じられる高い青空を見上げながら
「去年の今ごろもシオカラトンボがよく飛んでた」
コーヘイが言う。
「そうだっけ」
昆虫にあまり興味のないシノブは覚えていないらしい。

シオカラトンボの飛ぶ方向をぼんやり目で追っていると、
ほとんど収穫できなかったキュウリとニガウリの支柱を片付け、
根や枯れ葉をのぞいて耕した土を眺めていたコーヘイが
「あれ?」と言って目をこらした。

よく耕したせいでふかふかでパウダーのよう、
思わず手を触れたくなるような柔らかな土の表面がもぞもぞと動いている。

「ミミズ?」

シノブも腰を浮かせてのぞき込もうとして
ショートパンツをはいた太股の裏側に手をやり
「あー、サッシの跡がついちゃったぁ」
と言った。その時、ボコッと土が落ちた。

五センチ四方くらいの正しい円形に土がいったん蚊に刺されたように
プ、とふくれた直後、まるで「落ちた」ような具合で穴が空いたのだ。

「なんだこれ」

コーヘイも中腰になってのぞき込む。穴はあんがい深そうだ。
「ミミズではないね。深そうだよ」
さきほど片付けたキュウリ用の支柱を差し込んでみると、
2mほどの支柱はするすると何にも触れることなく地中へ入っていく。

「うわ、深い」

2mの深さまで刺し込んでも「底」にたどり着かない事実に仰天した。
「モグラじゃないの?」
「モグラはこんな風に縦に2mも穴を空けないよ」
田舎育ちのコーヘイは何度もモグラを見たことがあるらしい。

「水を入れてみたら?」
シノブの提案で水道から薬缶いっぱいに水を汲み注ぎ込んでみたが、
1.5リットルほどの水は音もなく地中へ消えていった。
「底」に到達して溢れてくることもない。
「水、どこへいっちゃったんだろうね」
とシノブが言いながら不思議そうに穴を眺めていると
「柴田さーん、宅急便でーす」
と玄関の方から声がした。
「はーい」
シノブが受け取りに入っている間もコーヘイは
しゃがんで穴をのぞき込んでいる。何か音がする。

『みょー』

「なんだ?」
コーヘイが穴に耳を近づける。

『みょー』

奥の方から微かに音が聞こえてくる。

『みょー』

「ヘンなの」
荷物を手に戻ってきたシノブに言う。
「なんか音がするよ」
「えー? どれ?」
シノブもサンダルを履いて庭に降り、穴に耳を近づける。

『みゅー』

「『みゅー』だって」
「え?『みょー』だろ?」
「『みゅー』だよ」
「『みょー』だって!」
届いた思いの外小さくて軽い段ボールを開けながらさらに
「『みゅー』だよ、ぜったい」
と言って箱の中身を見たシノブが絶句した。

そこには1枚の白い紙が入っていて

『みょー』

と書いてあった。
伝票の差出人の欄には「福原佳枝」と書いてある。
シノブの母だった。

<おわり>

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

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