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【短編小説】
「ハロー・イッツ・ミー」第六回

ハロー・イッツ・ミー。
最後に繰り返されるリフレインがたまらない。

「僕のことを思って」
「僕のことを考えて」
「わかってよ わかってよ」

ああ、もう。
ずっと「いい曲だな」と思って聴いていた曲の
歌詞の意味を知ったときのそれまで持っていた
イメージとのギャップと言ったら……ねぇ。

髪を乾かしながらグラスに移した缶ビールを手にマユミは思う。
残りのビールが入った缶の横にある白いプレートの上には
軽く塩と胡椒をふってレモンを搾った
カッテージチーズをのせたクラッカーが何枚か。
今夜はこれで充分。

キレイな曲なんだけどな。
この曲「ハッピー・ピルズ」(Happy Pills)もそう。
http://www.youtube.com/watch?v=a9s0DCQJq4I&feature=player_embeddedv

これ、男に「出て行って」って宣言している唄だもの。

あなたでしょ。
あなたが二人の間をバラバラにしたのよ。
もう顔も見たくない。私を解放して。
だから出てって……出てけ! 

って。
これ、原因は浮気……別に女ができたのかな。
タカシに彼女ができたわけじゃないからなぁ。
あの人モテナイものねえ。

同じアルバムに入ってる「ミリアム」も
自分の彼氏を取った女の子を糾弾する、っていう歌詞で、
この間来たときに武道館でこの曲を弾き語りで唄ったときには
ちょっと「ゾッ」としたくらい。

女ってそうなのかな。
それだけ「彼が好き」ってことなのか
「男を取られた=他の女の子に負けた」ことが
単純に悔しいのか。どっちなんだろう?
それにしても別れるにときに「キミのためにならない」とか
恩着せがましいこと言ったり
「僕のことを考えて」なんて甘ったれたこと、
たぶん女は言わないな。
少なくともアタシは言わない……と思う。

4階にあるマンションの部屋の窓辺に立って
ベランダ越しに街灯とコンビニの照明、
そして自販機の明かりだけに照らされた路面が
ポツンポツンとランダムに見える道路を見下ろして、
ミニコンポのスピーカーから流れる
ノラ・ジョーンズを聴いていたその時。

遠く離れた街灯の下に
口論をしているらしいカップルが見えた。
水銀灯の光芒からはずれて
顔が見えないスーツ姿の男と
コートを着た女性。

あ。あのベージュのコート、見たことある。
アタシが持ってるのと同じ……ていうか、

あれ、アタシだ。

何を争っているのか声は聞こえない。
そのうちに激昂したらしい女性(アタシ)が
相手の男を殴った。

グーで。

そして殴られてのけぞった瞬間、男の顔が見えた。
タカシだった。もちろん。
怒って(たぶん)足早に去っていく女。
それを追っていく男。
スポットライトの役目をしていた
街灯の明かりからはずれると、
二人は見えなくなった。

マユミはしばらくそのまま夜の道路を照らす
いくつかの明かりを見ていたが、
窓辺から離れるとソファにへたり込んで
グラスに残っていたビールをぐい、と飲み込んだ。
アタシ、今なに見たんだろ?

わからなかった。
でも今の光景を見てなんだかトリタニタカシに
「シャキッとしてよ!」と
渇を入れることができたような気分がした。

その時。携帯電話の着信音が鳴った。
表示を見るとタカシだった。

「もしもし。僕だけど」



3日後の夕方、
待ち合わせた居酒屋に現れたトリタニは
顔を腫らしていた。

「酔っぱらって転んじゃってさ」

「サイテー。何やってんの」

二人で笑いあった。
いつものように呑み始めたが、
ビルの窓辺に見えたカップルのこと、
街灯の下で繰り広げられたファイトの話を
どちらも持ち出さなかった。

とはいえ「煮込み」と「ポテトサラダ」を食べ終えて
「つくね」と燗酒を注文する頃になると、
最初は何となく「手探り」感のあった会話も
だいぶほぐれてきて
この間の気まずさの残る別れ方については話した。

あの曲の歌詞のどの部分が好きではないかを説明し合って
二人ともそれ相応の理解の仕方をしていることだけはわかった。

「コレからもよろしくお願いします、監督」

トリタニが言うとマユミは

「とりあえずスタメンは確保してあげるわ」

と答えた。そして

「打順はまだ決めないけど」

と付け加えた。

<了>

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

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