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【短編小説】
「ハロー・イッツ・ミー」第五回

「別れても好きな人」ってか?

一緒にいるのがちょっとダルくなったから別れて
都合のいいときだけ「寝る」なんて。
あり得ないだろ。フツウ。
そういうことができる男もいるんだろうけど、オレにはムリだ。
ぜったいうまく立ち回れそうにない。
グジャグジャになるに決まってる。

でも。トリタニは思う。

そういやトッドは19の時にあの曲を書いたんだっけ。
オレは19の時、意味もわからず聴いていたけど、
もしこういう歌詞だとわかっても
「わかる」って思ったかもしれない。
あれくらいの年齢って甘ったれてるからな。

オレは今32で、もうこの歌詞がずいぶん
男の身勝手な詞に聞こえるってことは、
もうオレも最初にあの曲を聴いた頃からすると
ずいぶん変わったってことなのかもな。

つき合いはじめて9年。
その間に就職して仕事を覚えるまでの最初の2年くらいは
ずいぶんマユミに助けられた。
一緒に暮らすことも考えたし、マユミが卒業・就職したときとか
何度かそうするチャンスもあったけれど、
けっきょくそのまま来てしまった。
今でも仕事でちょっとしたトラブルを抱えているときなんか
彼女と飲んでいるとずいぶん気が楽になる。
ただ……。

中堅信販系会社の広報用ツール制作部門に勤める彼は
社外でミーティングすることが多い。
この日も中目黒での打ち合わせを終えて渋谷へ向かう車中、
車窓に映る7時をまわってすっかり暗くなった
街の景色を見ながらそんなことを考えていた。

ときどき何を考えているのかわからなくなるんだよな。

という気分でため息をひとつ。
携帯を見る。着信・着メールなし。
「人間関係回復電話」してみるかな。
「人間関係」か。「恋愛関係」じゃなかったのかな。
少しだけ頬が緩む。そう考えればまぁ気楽かもな。

トンネルをくぐるような感じで代官山駅を過ぎると、
ビルとビルの合間を縫うようにして高架上を走る
この電車の車窓からは、時折道路を横切るときに以外に
街灯が見えない。
だから夜になると目に入るのは暗いビルの壁面に
まばらに見える明かりのついた窓ばかりだ。
オフィスの明かり、階段の踊り場の明かり。
ごくたまにその中で人が動く様子も見える。

書類の束を持って歩く女性、外階段に出て煙草を吸っている男。
それぞれいろんな生活があるんだろう。
あそこに立っているのが、あの窓の明かりの下にいるのが
オレだった可能性だってあるわけで……。
緩い目で眺めながら考えていたその時だ。

暖色系の照明の下、
窓辺で男と女がしっかりと抱き合っているのが見えたのは。

スーツは着ていないから学生だろうか。
電車の車窓から見えているとは考えていないのかもしれない。
男は背をこちらに向けているので
眼を伏せたまま男の肩に頬を寄せている女性の顔が
一瞬だがはっきりと見えた。

マユミじゃないか。
そしてこちらに背を向けている男が着ている
見覚えのあるジャケット。
あれは……9年前のオレだ。

<つづく>

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

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