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【短編小説】
「ハロー・イッツ・ミー」第三回
時々こういうことがある。
これといって他意もないことを話しているとき、
どこのどのフレーズ、どの単語に反応したのか不明なまま、
知らずマユミの心のどこかにある琴線に触れてしまうのだ。
トリタニはこれを「マユミの地雷」と呼んで畏れている。
理由がわからないまま地雷を踏んだときは必ずその爆音が長く尾を引く。
しかも地雷の埋設地点がわからないだけに謝る端緒がない。
だから考えてもしょうがないのだが、それにしても。
好きな曲にケチをつけられたことが理由で彼女と喧嘩して
もし別れることにでもなったら、あの曲の歌詞そのままだ。
なんだか「馴れ合い」みたいになってしまった彼女との関係を
「このまま続けていたらキミを傷つけてしまうかもしれない」って
電話で切り出すんだよな。
「もしもし、僕だけど」
「だから別れよう」……
「ふん」
トリタニはそう言って空を見上げた。
夫婦に「倦怠期」があるってのは聞いたことあるけど、
結婚もせずにつき合ってるカップルにもあるんだな。
そんなことを考えながらトリタニは地下鉄の階段を下りた。
*
「穐伸(あきのぶ)さん、これおねがいします」
分厚いファイルを渡されてマユミは「はあ」とため息をついた。
そこに記述された数値を所定のところに
入力していけばいいだけどはいえ、
前日と同じことを繰り返す作業は眼と肩と神経を
否応なくすり減らして行く。
月末はいつもこうだからしょうがないな、
とあきらめてモニターに向かう。
作業は単純なので考え事ができることが救いだ。
前夜のことが蘇る。
あの曲、キライなのよね。
歌詞、読めないと思ってるのかしら。
いちおうアメリカ生まれなんだけど。
8歳までしか住んでいなかったから堪能ではないけれど、
あの歌詞の意味くらいはわかるわよ。
「キミのことを傷つけたくない」
とか言ってるクセにその後
「キミさえよければ出かけて行って
ひと晩くらいなら一緒にいてあげてもいい」
とか唄うの。
「ひと晩一緒」って「寝る」ってこと?
何なのそれ。
だからつい「オレオレ詐欺」呼ばわりしたのよ。
「甘ったれるのもいい加減にしないと!」
小声とはいえモニターに向かって思わずつぶやいてしまってから
マユミは辺りを見回した。
デスクの近くに誰もいなくてよかった。
お酒、まだ残ってるな。
足がむくんでいるらしくてパンプスが少し痛い。
お昼、軽くしよう。
<つづく> |
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