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【短編小説】
「コーヒーミル」第四回

 間違いない。ヤツは絶対に日本人だ。
しかも昭和30年代生まれで子供の頃に
マブチモーターを手持ちの潜水艦のプラモデルかなにかにつけて
風呂場で遊んでいた経験を持つゴリゴリの日本人男性だ。

 アフリカだか東欧だか南米だか、どこだか知らないが、
そこに住んで日本から取り寄せた日本のDVDか何かを見て
生まれ故郷を懐かしがっている孤独な男だ。
しかし待てよ。
それにしては翻訳してある文章が所々おかしいのはなぜだ。

 現地の人間だ。その人物が書いているのだ。

 たとえばこういう筋書きはどうだ。
現地の女性と結婚して次第におかしくなる日本語を
保持する目的で始めた女房への日本語教育が、
それを続けていくうちにあるいは自分の日本語能力も
変成させてしまったのではないか。
だからそれを校正することすらできない。
妄想かもしれないが。
もしかしたら……。

 彼は現地の日本人専用お客様ダイヤルがかかってくる電話の前で、
日本から日本語で電話がかかってくるのを
今も心待ちにしているのではないのか。

孤独に、
パイプ椅子に座って、
窓の外に椰子の木と砂漠色の街が見える、
ガランとした部屋の中で、
飲みさしのコーヒーが入ったマグカップと
ランチ用に買った名も知らぬ動物の肉をはさんだ、
外国語で書かれている新聞にくるまれた
固いライ麦パンの横の受話器の呼び出し音が鳴るのを
今か今かと待っているのではないか。
妄想かもしれないが。

 そうだ。彼に日本語を聞かせてやろう。
オレも昭和30年代生まれだ。
彼の子供の頃の背景はよく知っている。
マブチモーターの話、
取り付けて遊んだ水中モーターの話、
そしてそれを取り付けたサブマリン707の、
けして左右のボディが完璧に合わさることのなかった
プラモデルの話を。
妄想かもしれないが。

 すこし汗ばんだ手を受話器に延ばしかけて手を止めた。
待て。
その前に「角度の入力」ではないのか。
「駆動系の不調」は「その角度を入力する」ことで
「伝達機能の問題は解決する」んではないか。

 困った。
解決してしまっては遠い見知らぬ国で
オレの電話を待っている彼に電話をする理由がなくなってしまう。
どうしよう。
 まあいい。
解決したところで「入力の仕方がわからない」とか
なんとか言って電話すればいいだけの話だ。

 ライト付きルーペを手にして本体側の内部をのぞいた。
よく見ると、電源ケーブルからつながる基盤の右端に
カウンタのような小窓が3つあり、
そこに表示されている数字がすべて「ゼロ」になっている。
ひとつひとつの窓には右側にダイヤルがあって、
任意の数字に変えることができる仕組みらしい。
これだ。ここに「角度」を入力すればいいのだ。
しかし「何度」にすればいいのかわからない。

 椅子の背に体をあずけてしばらく考え、
すっかりさめた紅茶をひとすすりすると
受話器に手を伸ばし、
「お客様専用ダイヤル」の番号を押した。

<つづく>

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

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