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Vol.21
幼馴染「K」の数奇な人生

 人の「幸福の定義」は、人それぞれだ。例えばある人は、家族に愛されることを最高の幸福とするかもしれないし、ある人は仕事で自分が生きてきた爪痕を残したいと強く願うかもしれない。趣味に生きるのも手だし、おいしいものをたらふく食べることや快眠を幸福だと思う人もいるだろう。
 まぁたくさんの人がたくさんの幸福の定義を持っているが、大抵は理解の範疇にある。
 自分と若干違うとしても、理解はできる。
 だが、ある日突然、理解ができないところまで到達してしまうやつもいるのだ。

 今回は、ぼくの幼なじみのKの話をしたい。
 ぼくらは小学校からの友達なのだが、今考えれば、Kの家は、一見普通なのに、ちょっと奇妙だった。
 ぼくらの実家は1キロぐらいしか離れていなかったので、ぼくはよくKの家に遊びにいっていた。優しそうなお父さんとお母さんと犬がいる普通の家。何の変哲もない群馬の家庭だ。

 あれは確か中学2年の時だっただろうか。ぼくはKの家で一緒に受験勉強すると言いながら、ギターを弾いたりマンガを読んだりせんべいをばりばり食っていたりした。
 しばらくすると、突然ドアが開いた。
 ドアの向こうにはKのお父さんが立っていた。
 勉強もしないでだらけているぼくらを叱りに来たのだろうと思ったが、違った。
 Kのお父さんは突然ぼくの前に何かを差し出してきたのだ。
「これかぶると、勉強捗るぞ」
 銀色の固まりだった。
 よく見ると、アルミの針金を何重にも絡ませ、縫い合わせるように作ったヘルメットのようなものだった。だがヘルメットと呼ぶには隙間が多く、しかもそのてっぺんには、タケコプターのような突起物がくっ付いていた。なんだ…これは。ぼくは驚きながらKのお父さんの方を向いた。
 お父さんの話によれば、この帽子を被ることでつまり、宇宙の意志とか啓示めいたものを受け取れるようになり、勉強や運動も捗るようになるのだそうだ。それはKも初めて見たものらしくて、お父さんがドアから消えたあと、「うちのお父さん、すげーな」と言っていた。
 すげーかどうかは分からないが、ぶっ飛んでいたことは確かで、翌日から学校の友達に話しまくった記憶がある。
 
 そんな家で育ったK。ぼくらは上京したタイミングも同時だ。18歳から、ぼくらはそれぞれに東京という街を楽しんだ。Kは、住んでいた聖蹟桜ヶ丘の駅近くにあるブルースバーで寝泊まりしたり、歌舞伎町のアルカザールという老舗ニューハーフパブの黒服をやったりするなど、不思議な経歴を積み上げていった。でも、そういう非日常な空間は若者を惹きつけるのは確かだし、ぼくも似たようなことをしていた。

 大学卒業後、ぼくらは時々意見交換をしながらも別々の道に進んだ。ぼくはアメリカに留学し、Kは、貿易関係の仕事に就いた。貿易業界唯一の国家資格である通関士を取得しようと、横浜で忙しく働いていたという話を共通の友人経由で聞いていた。

 だが、Kの奇妙な変化は突然訪れた。
 ぼくがまだアメリカにいた頃の話だ。
 共通の友人達と二泊三日の沖縄旅行にいったKは、最終日にこう言ったそうだ。
「おれ、ここに残るわ」
 友人達は驚き、「何言ってんだ」、「仕事どうするんだよ」騒いだらしい。
するとKは「分からない」と答えたそうだ。
 実際、その後数年間、Kは沖縄から関東に戻ってこなかった。

 その間にぼくも日本に帰ってきて、なんとか新聞社に潜り込んでいたころだ。ある日突然、知らない携帯電話から連絡がきた。取ると、久しぶりに聞くKの声だった。
「久しぶりじゃないか。何してるんだ?」
 ぼくがいうと、Kが答えた。
「今、東京にいるんだよ

 突然、ぼくらは数年ぶりの再会を果たすことになったのだ。

 数時間後、待ち合わせの喫茶店に立っていたK。
その後ろに、小さな子供を抱えた子供がいた。
「んん!?」
「あ、あぁ。こっちはS。おれの奥さん」
「抱いてるのは…お前の子供?」
 赤ん坊を指差してKは「Rっていうんだ」と言って笑った。

 それからのKの話は、まるで、「世にも奇妙な物語」とか「トワイライトゾーン」とか「Xファイル」とかのようだった。
まず、沖縄旅行に行ったKは、一人の女性にあった。その女性の名前は「M」である。「S」ではないのか。ぼくは不思議に思ったが、一旦話を聞くことにした。
 Kは沖縄の海でMに出会った。
 二人は意気投合し、ディナーをすることになった。
 そこでMはKに言った。
「私とあなたは前世でつき合っていた」
 突然のスピリチュアルである。
 ぼくはKに聞いた。
「へ、へぇ……。で、お前の前世は何だったんだ?」
 するとKは答えた。
「『インドのなまくら坊主』だ」
 笑っていいのかどうかもよく分からない微妙なところをついてくる。だがKの目は真剣だ。
「お、おう…そうか……」
 
 Kと出会ったその日、Mは言ったという。「あなたが坊主のくせになまくらだったから私とあなたは結ばれたの。だから、現世でも結ばれるの」そういわれたKはなぜかMの家についていくことになったらしい。そして、驚くべきことに、そこにはMの幼い子供が2人。さらに、旦那もいたという!Kはさすがに家に入るのを拒否したらしいが、なぜか、夫も一緒になってウェルカム状態。「前世で繋がっていたのならばしょうがない ということらしく、Kは家族の一員になったらしい(狂ってる!)。
 この一連の出来事はつまり、Kが二泊三日の沖縄旅行に行った最中にあったことだ。

 で、その時点で、Kはなぜか関東に戻らないという決意をしていたらしい。運命的なものを感じていたのだろうか。そして数日後、Mがなんと四重人格者だということが判明。3歳児とモンゴル人と日本人とインド人が自分の中に混在しているらしい。つまり、自分の中のインド人の人格とKが結ばれていたと。そういうことらしいです!

 さらに、家族の一員?になった数ヶ月後、Kの子供がMのお腹に宿った。すると、Mの旦那さんはなぜか離婚を快諾! 二人の小さな子供を連れ、親権と養育権の両方を手にして家から去っていったという。
そこからいよいよKとMが結婚。本当の夫婦になったのだ。
ってあれ?その時ぼくの目の前にいた女性の名前はS。Mではない。もう何がなんだか分からない!

  ぼくはKに聞いた。
「あぁ、それはね、改名したんだよ!」
「な、なるほど改名ね…って、え?」
 
 沖縄はなんくるないさー文化の島。だからかどうか知らないが、裁判所も適当みたいで、Mが展開する「多重人格理論」、前世で結ばれていたという不思議ちゃん的理屈を通してしまい、改名を許諾!
結果、Mは、Kと結ばれていたインド人の人格の名前「S」を本名とすることになった。そんなことなるの?普通って感じだが。。もはや何が何だか分からないわけで、突っ込みどころはこの時点で軽く100は超えていた。

 でもまぁ…ね。人ってそれぞれですからね。事実、KはSとの間にRという子宝に恵まれているわけで、今更いろいろ突っ込んでも野暮かな、と思いまして。幸せならいいよ、と思っているという話なのです。

 ただ、先日、風の噂でKのことを聞いた。

「Kが、夫婦喧嘩で右の拳の骨を粉砕骨折したらしい。
 手が折れても救急車って来てくれないらしくて、自分で片手で運転して病院までいったんだって」

 ……もう少ししたら電話でもしてみよう。
 どうすれば夫婦喧嘩で拳を粉砕骨折するのか聞いてみたくなった。

高橋 大樹



HP「高橋大樹のマーケット放浪記」
http://hirokitakahashi.com/

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