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第21回 心の地震がもたらすもの

世界のたくさんの国々で、
飢餓に苦しむ難民や戦争の犠牲になっている人達が
常に存在していることは昔から知っています。

そのような報道を目にするたび心は揺さぶられ、
改めていま自分が置かれている状況は恵まれたものだと気づき、
無駄な消費を控えるような気持ちになるものです。

また、不治の病におかされ長くは生きられない人の話を耳にすれば、
心は大きく揺れ、
「今日という日をもっと大切に生きなければ!」
という想いが喚起されます。

ただ、しばらく時間が経ちそれらの記憶が薄れてくると、
ついつい食べ過ぎ、恵まれているにも関わらず不満を感じ、
時間の大切さを忘れてしまうことも多々あります。

でも、心が揺さぶられるような出来事により感じた想いは、
心の奥底に少しずつ蓄積され、
ことあるごとにその想いは深く強くなっているような感覚はあります。

今回の東日本で起こった大震災は、
私個人としては直接的な被害を受けるようなことはなく、
震災の惨状を目の当たりにしたわけではないものの、
平和ボケし緊張感を失った私の心に、
相当な衝撃を与えたことは間違いないようです。

今回の震災からは「今を大切に」とか、
「自分に与えられている恵みに感謝しなければ」
といった想いとは別の想いが湧いてきました。

自分自身が死ぬことや、
大切な人と死に別れることの覚悟のような想いが
強くなったような気がします。

これからの私の人生には、
死によって引き裂かれる、
肉親や大切な人達との別れがたくさん待ち受けているのはたしかでしょう。
当然、自分自身の死を受け入れるときもくるはずです。
特に高齢の両親とはそう遠くない未来に別れがくることを想像すると、
大きな不安に飲み込まれそうになります。

でもなぜか、今回の震災で家族を失った人達の姿を目にしたこと、
そしてそれを思い出すことで、
今までより心を強く保てる自分が感じられるのです。

それは、「あんなにひどい目に遭った人達に比べれば…」といった、
上から目線での安心感によるものでは決してありません。
同じ人間として、同じ命を持ったものとして示してくれた、
あまりにも強烈な生と死というあり様が、
現実を受け入れる私自身の覚悟の心を鍛えてくれたのかもしれません。

生きている限り、
ショッキングな出来事に遭わないように生きていくことはできません。
ショックを受け心が揺さぶられる瞬間というのは、
心に起こった地震のようなものなのかもしれません。
そのショックが大きければ大きいほど、
心の混乱は大きく長く続くでしょう。

でも、混乱の後には必ず再生というサイクルが巡ってくるというのが、
命あるものが生み出す絶対法則のような気がします。
心の地震を体験することにより、
人の心はそのつど鍛えられているのかもしれません。

長い人生をかけて人間の心が鍛えられる理由があるとすれば、
それは人生の後半に控えている、
愛する人達との別れ、
そして最終的には自分の死を受け入れるためなのかもしれないな、
と思いました。

*

「こころ」をテーマにしたコラムは、今回で終わりです。
次回からは、新テーマでスタートします。
引き続き、よろしくお願いします!


いずみえむ『シンプル開運ライフ』
→http://www3.ocn.ne.jp/~izumi-m/

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