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008 本を書くことは、もう一つの目を持つこと

 今日はちょっとまじめ(?)なお話を。

 去年の春から台湾人の老師(先生)に中国語を習っているのですが、「中国語を始めたよ」と友人に話すと、みな一様に驚きの表情を見せ「なんでまた??!」と声をそろえて聞き返します。私をよく知る仲間にしてみれば、ジュミック今井は英語以外の言語にかかわるイメージが全くないらしく、なかには「英語を捨てちゃったの!?」、「あなたの進む道はいったいどこへ向いているの・・・」などなど、想定外のリアクションもみせる友人もいるほど。

 もちろん、私は英語を捨てる気は毛頭ないですし(!)、道に迷って方向性を失ったわけでもない(と、一応は自覚しています)。私が中国語を始めようと思ったきっかけはいたってシンプル・・・初心者としてもう一度、外国語を勉強してみたくなったのです。そして、初心者として外国語を学ぶことで、その「ことば」を習得するプロセスを客観的に見つめてみたくなったのです。英語を学び始めた時はまだほんの中学生でしたし、そもそも学びのプロセスを客観視するなどという大意すら思い浮かびませんでした。しかしあれから時は経ち、現在は英会話の教師として、また語学書作家として活動する中、初心者の方の学びの気持ちを理解するには、自分も初心者に戻るのがベストだと思い、これまで全く縁のなかった中国語を選ぶことにしたのです。ん〜、さすがに中国語は難しいですが、新しい言語とのかかわりを持つことで文字に対する意識の変化が起きているのか、書き手として「もう一つの目」が生まれたような気がします。

 実に、文章を書く時に大切なのは「客観視する目」を持つことではないでしょうか。私は常々「いい本を書きたい」ではなく、「読者さんにいい本だと思われる本を書きたい」と思うようにしています。もちろん、「いい本を書きたい」と思うのは、情報発信者として基本の姿勢ではありますが、書くことはある意味100パーセント主観的な行為ですから、常に一歩引いて、大きな目で全体を見通していくことは、やはり大切なのだと思います。(そして、客観的になることはほんとうに努力のいる行為だと思います・・・)
 
 また、「真に何かを理解するには、“思考”ではなく“体験”がものを言う」というフレーズを耳にすることがあります。そういった意味において、中国語は単に「ことばの習得」のみならず、「実体験としての学びの楽しさ」を教えてくれた貴重な財産となりました。(真の学びの喜びは「机上」ではなく、「外の世界」にあるのですね)
 そしてなにより、台湾の食文化と出会えたことは自分にとっての“思いがけない副産物”でもありますし、語学は視野をパノラマ式に広げてくれる、まさに「開かれた扉」なのですね。ゴマはなくともドアは開く。そう、語学は勉強じゃなくて、友達だと思えば楽しさも100倍!皆さんにも素敵な出会いがありますように!再見!


小龍包と台湾ビール

あ、こちらが副産物(?)の小龍包と台湾ビール。
この地元のビール、飲み口軽くてぐいぐいとすすみます。

012
簡体字と繁体字

011
名前もwagamamaなら、
味もwagamama

010
ザ、台湾の「足つぼ公園」

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