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あきら「茶柱句会 第三部 第50回茶柱ツイッタ−句会」

─俳句なう─
「第50回茶柱ツイッタ−句会参加作一覧」
(着信順 投句のまま)
一人六句まで(1ツイ−ト3句以内x2)
11月8日〜11月22日締切り
兼題 文化の日 七五三
あるいは自由題(当季 晩秋・初冬)



俳人に近くて遠し文化の日

七五三三里四方の二八蕎麦

利休より綿虫に聴け生きる術

恍惚の人こそよけれ帰り花

小春日や伸子で心洗ひ張り

黄落の半径樹丈生る生命
(以上六句 大阪市 あきら)


文化の日一字で変はる佳句駄句

秋の暮翁見たかや遷御の儀

娘の腹帯受けし神社や七五三
(以上三句 加古郡 はつを)


世捨人となりたく候文化の日

七五三五七五七と詠はんか

飛行機にお乗りなさいよ神の旅

賀茂川に経をたむけん親鸞忌

わたつみにたゆたふ雲や蕪村の忌

過客いま四劫いでゆく翁の忌
(以上六句  寝屋川市 いさむ)


凩や音密やかに預言めく

空中に磔られし枯葉かな

酉の市遠き熊手のあたたかさ

黒々と冴えたる瞳寒蜆

むく犬の背に小春日を集め去り

冬空に富士若さとは猛きもの
(以上六句  横浜市 兎巣)



字句補足説明
文化の日(11月3日)黄落(くわうらく)は晩秋の季語
七五三(11月15日) 綿虫 帰り花 小春日と初冬の季語
<文化の日>戦前は五大節の一つの「明治節」明治天皇の誕生日
俳人は文化人などと呼ばれ悦に入っていてはダメという戒めをこめて
ホトトギス4Sの一人阿波野青畝(1899〜1992)に
<動く大阪うごく大阪文化の日>1974(昭和49)年 
大阪芸術賞受賞時に詠んだ句
天王寺区の藤次寺に句碑がある
大阪の躍動感と受賞の喜びがよく表現されている
<七五三>男の子は三歳と五歳 
女の子は三歳と七歳のときに子供の成長を祝って
産土の氏神さまに詣でる行事(本来は数えの年齢だが現在は満年齢が多い)
<三里四方>は身土不二(しんどふじ)の目安となる範囲
<二八蕎麦>は美味いとされる蕎麦粉八に繋ぎ粉二で打った蕎麦のこと
七五三に因んで二・四・八の数字を織り込んだ遊び
<利休にたずねよ>という映画が注目されている(僕はまだ観ていないが)
原作は山本兼一(1956〜)さんの直木賞受賞作
監督は田中光敏(1958〜)さん
モントリオ−ル世界映画祭で最優秀芸術貢献賞受賞
主演は利休に市川海老蔵(1977〜)さん
信長に対しても<美は私が決める>と豪語するも最期は秀吉の命で切腹
<綿虫>というのはそんな利休とは対極にあるように
初冬の晴れた虚空の風に身をまかせ浮遊 植物に寄生するアブラムシの一種
美に殉じる生き方も一局なら<虚空たゆたふ>ような生き方も一局
<生きる術(すべ)>なら利休よりも綿虫に分がありそう
<帰り花>初冬の暖かい日に春に咲く桜などの花が咲くこと
狂い咲きともいうが<帰り花>がきれい
<洗ひ張り>昔の着物はほどいて縫って 
洗って干して伸子(しんし)で伸ばした
それを洗ひ張りという 
伸子というのはよく撓る竹籤の両端に針がありそれを刺して
生地を伸ばす道具 きれいな反物に再生したら仕立て直して着る
良い生地を大切に長く使う合理性と和の知恵
小春日の一日 伸子の針はちと痛いが心の洗い張りをしてみるのも一興
<黄落>広葉樹の黄色い葉が落ちて地面を覆っている様子
仔細に眺めるとその範囲はほぼ樹木の丈(高さ)を半径にした
円形であるのに気づく
その落ち葉の下や上には そこを栖にする虫たちがすでに蠢いている
実生の双葉も見られる一つの生態系<草木国土悉皆成仏>の世界

はつをさんの句
順番に文化の日 秋の暮と晩秋の季語 七五三は初冬の季語
俳句は一字で変わる まさにその通りでことに<てにをは>と呼ばれる助詞
この句は文化の日との取り合わせの句 俳句を詠む要諦を論じている
<遷御の儀>今年は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の年
新しい社殿にご神体を移す儀式のこと
内宮では「カケコ−」 
外宮では「カケロ−」と神職が鶏の鳴き真似を三唱して始まる
内宮(10月2日)下宮(10月5日)の夜
浄闇(じょうあん)と呼ばれる闇の中 絹垣で囲い移された
嘗て西行法師(1118〜1190)が伊勢神宮で
<何事のおはしますますをしらねどもかたじけなきに涙こぼるる>と詠んだ
西行を思慕する芭蕉翁ならご覧になられたことだろうと芭蕉を思慕する作者
<娘の腹帯受けし神社>へお礼の七五三参り
はつをさんの信心深さが伝わってくる
神様にはお願いばかりでなく感謝を捧げるのが礼儀

いさむさんの句
季語は順番に文化の日(晩秋) 七五三(初冬) 
神の旅(初冬) 親鸞忌(仲冬)
蕪村の忌(暮れ)  翁の忌(初冬)
<文化の日>の句 シニカル詠まれた
七五三に因んで七五 七五とつければ都都逸風になる 七七なら短歌風
都都逸は七七七五が基本形だが五七七七五という形式もある
いさむさんに都都逸の嗜みがあるのかどうか知らないが
時折 そんなニュアンスが顔を出す(たとえば三句目)
そんなとき俳句としては甘くなり古くなる
<神の旅>陰暦十月に諸国の神が出雲大社へ集まること
十月晦日まで会議をして また全国へ帰る 
故に十月を出雲意外では神無月という
出雲空港も近く いまなら飛行機で集まればとからかう
<親鸞忌>基本季語<報恩講>の傍題の季語 11月28日
親鸞(1173〜1262)は浄土真宗の開祖 
9歳のとき天台宗門跡寺院・青蓮院で得度
後に天台座主になる慈円(1155〜1225)が得度を延期しようとしたところ
<明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは>と詠んで予定通り得度
したという逸話がある 真理を歌にする聡明すぎる神童だった
東本願寺では11月21日から 西本願寺では陽暦になおして1月9日から営む
<蕪村の忌>1783(天明3)年12月25日未明 享年68歳
辞世の句は<しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり>
また遺言の句<我も死して碑の辺(ほとり)せむ枯尾花>に基づいて
以前はつをさんも訪ねられた
金福寺の芭蕉の碑の近くに葬られた<枯尾花>は芭蕉の追善集の署名にかけた
俳諧の高弟・江守月居 絵画の弟子・呉春も蕪村の間近に眠る 
<わたつみ>は日本神話の海の神のこと 綿津見や海神とも表記された
<翁の忌>芭蕉(1644〜1694)忌のこと 
元禄7年陰暦10月13日逝去享年51歳
この句は含蓄が深い 読み解くために
辞世の句<旅に病て夢は枯野をかけ廻る>をまず踏まえておきたい
 <過客(くわかく)>については奥の細道冒頭の有名なフレ−ズ
<月日は百代の過客にして、行き交ふ年も 又旅人也。>を併せて参照
すなわち
時間(月日・行き交ふ年)は
この世界を通り過ぎてゆく旅人(百代の過客)である
(長谷川櫂著「奥の細道」をよむ ちくま新書)
つまり 時間(月日・行き交ふ年)=旅人(百代の過客)
<白代の過客>とは西行(1118〜1190)であり宗祇(1421〜1502)そして
杜甫()712〜770である 芭蕉(1644〜1694)自身も含まれる
人は生まれながらにして(あるいは生まれる前から)生→死への生者必滅の旅人
であるという認識した上で
ついで仏教用語<四劫(しこふ)>が難解
四劫とは世界(宇宙)の生誕から破滅にいたるまでの四つの段階 すなわち
成劫(じょうこふ)・住劫(じゅうこふ)・壊劫(ゑこふ)
・空劫(くふこふ)のこと
<劫>とは数の単位のことだが 途方もなく大きい宇宙的スケ−ルの単位
この説明をする紙幅はないので割愛
詳しくはインタ−ネット上で<地獄・崩壊・未来永劫>を検索されたい
<四劫>に近似する日常語としては「宇宙」それと同義語の「時空」あるいは
「現世」であろうか
<四劫いでゆく>とは時空という三次元を離れるとも読める
宇宙的スケ−ルを出でる方法の一つが辞世の句にある夢(イマジュネ−ション)
時空を出るとそこにはもうなにも無い そう感じる自分すらも無い(つまり死)
三次元に生きているつもりの人間の時間というものは単純で儚いものだ──
しかし 四劫を出でることなど尋常な人間技ではできないから
<生→死への時間の矢として旅をする過客(旅人)>というものが
四劫を超越したと解すべきかもしれない(芭蕉の辞世の句のように) 
作者は芭蕉(翁)忌にあたり 
われわれ人間は<生→死への時間の矢の旅人>であるとシリアスな感慨を得た
用語が馴染みにくいが日本の詩歌の基底にある
「儚さ」「あ・は・れ」をいいとめて一句に留まったと僕は読んだが如何?
この見解は<四劫>をやめて<時空>とか
<現世>にしろといっているわけではない 
それでは句格が下がるようにも思う
俳句は読者の数だけ読み方(感じ方)がある
この読み方が正しいとけっして押し付けるものでもない
まず俳句は作者の思想である
だから作者の本来の意図を確認することも必要だろう(自句自解)
近いうちにそのような場を設けたいとも思う
茶柱句会の<字句補足説明>は読者があちこち辞書を当たる手間を省き
簡潔に説明をして興味を失われないように続けているものだが 
こういう含意の深い句には歯が立たない
ついつい冗長になってしまった
<前回(第49回)締切り後に着信したため掲載できなかった投句を掲載>
夜も更けて温め酒をふたりかな
秋深し絶対矛盾的自己同一
好きですと言って別れて十三夜
古事類苑ひろげて秋の夜長かな
秋の雨ゆるりゆるりと古希を過ぐ
京に来て明日の紅葉を夢のなか
以上 六句(字句補足説明省略)

兎巣さんの句
順番に季語は凩(初冬) 枯葉(冬) 酉の市(初冬) 
寒蜆(晩冬) 小春日(初冬)
冬の空は「冬」単独で(冬)
兎巣さんらしく澄んだ空気感を表現された
二句目 空中に枯葉が静止しているのを見て驚く少女のような作者
静止している不思議を詮索したり説明したりするのは俳句では野暮
六句目の断定もユニ−ク 冬空の富士をみて思った若き日のこと
技術的にはいろいろ課題も残ったが
兎巣さんは澄んだ感性を失うことなく
しぶとく継続された そこが立派
来年に期待が続く


<同人欄>

「終末時計」あきら(代表同人)vol.38

ラッセル車赤き車体を試運転

木の葉どち栖離れて堆(うづたか)し

七竃終末時計五分前

半丁の湯豆腐真昆布老ひの贅

老いらくの深き屈惑帰り花

字句補足説明
順番にラッセル車(仲冬) 木の葉(冬) 
七竃(ななかまど)(晩秋) 湯豆腐(冬)
帰り花(初冬)が季語
<終末時計>正式には「世界終末時計(Doomsday clock)」
「ブレディ・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ
(Bulletin of the Atomic Scientists)」
「原子力科学者会報」という米科学誌が管理している
日本への原子爆弾投下から2年後(1947年)から始められた
人類滅亡の危険性が高まると針が進められ反対だと戻される
1991年で17分前 2012年は5分前と後がない
七竃は真っ赤に色づく紅葉と実が鮮やか
残り時間のすくなさに警告を発しているかのよう
<屈惑>くつ+わく→くったく(屈託)となった
(連声(れんじょう)という文語の用法)
屈託の本字 人生の経験によって折れ曲がった(屈折した)心理や様子
初冬の季語<帰り花>との取り合わせ
唐突ながら <俳句の初歩の初歩>音数の数え方
「ケ−キ」などの「ー」長音記号は一音数
「ラッセル車」などの「ッ」の吃音は一音数
しかし吃音でも「ちゃ」「ちゅ」「ちょ」の「や・ゆ・よ」や
「あ・い・う・え・お」は一音と数えないのが俳句の約束事
つまり「ラッセル車」は「ラッセル(4)しゃ(1)」なので
五音数 (この項11月2日「読売KODOMO俳句」選者・高柳克弘欄に学びました)


「古志創刊20周年記念大会」はつを(同人)vol.35

古志われら京に集ひし金鈴子

にぎはしや金の鈴振る樗の実

古志はたち佳き日寿ぐ竹の春

志高き天馬や秋の空

古志はたち盃乾せよ新走り

字句補足説明
順番に金鈴子(きんれいし) 樗の実(あふちのみ) 
竹の春 秋の空と秋の季語
<金鈴子><樗の実>とも栴檀(せんだん)の実の異称
はつをさんが最も好きな樹木であり季語でもある実をふんだんに盛り込まれた
<竹の春>は俳句独特の言い回しで仲秋の季語
秋になると竹の葉に養分が補給され青々としてきるので「春」
逆に<竹の秋>は筍に養分をとられ葉が紅葉する現象で春の季語
新走り(あらばしり)は新酒のことで今年酒ともいう晩秋の季語
古志の同人でもあるはつをさんのメッセ−ジによると
この11月9日にJR京都駅のホテルで
「古志創立20周年記念大会」が挙行された
関西以西の会員同人が約100名ほど集まり
席上 いさむさんは昨年度古志俳論賞特選の表彰を受けられ
大会の句会でも 現主宰と前主宰から特選に選ばれる快挙
<埋火(うづみび)やわれら俳諧火掻棒(ひかきぼう)>
壇上に上がりっぱなしで表彰を受けられた 
誠に喜ばしいと我ことのように喜んでおられた(はつをさんのお人柄の良さ─)
「おめでとうございます」(あきら)


<講評 あきら(茶柱句会主宰)>
2014年納めの句会
参加者数4名(296名) 参加句数21句(731句)()内は累計数
はつをさんはコンスタントに投句欄と同人欄に無欠席で参加されている
兎巣さんの出席率の高さも特筆に値する
今回はいさむさんの力作が目立った
志高く 俳句の深さ(根源)を求める姿勢には敬服する
しかし深さを求めるあまり
用いられる言葉が哲学や仏教経典の用語が多く難解すぎるきらいがある
これでは読者が閉口する そこで
飯田龍太(1920〜2007)の句集や
俳論の出版を数多く手掛けてこられた立風社の宗田安正(1930〜)さんが
あるところに書いておられた一文を引用して参考に資す
<天狼は根源俳句を求めた。短い俳句が他文芸と拮抗するためには深さ(根源)を求めるしかない、またそのためにどのような表現方法をとるかという論であった。
その深さの内容(対象)が三鬼では<実存>師の誓子では<いのち>永田耕衣では<東洋的無>で、それらを物(具象)により表現するという主張だった。>
<西東三鬼(1900〜1962)・山口誓子(1901〜1984)
・永田耕衣(1900〜1997)> 
この物(具象)により提示するという<即物具象>の表現方法は傾聴に値する
雲母の飯田龍太(1920〜2007)はこの表現方法+独自の美意識によっていた
表現方法は作者に属する個性だから指図する立場にはないが(編集者の立場から)
いさむさんの求める根源俳句がこのような表現をとられたら
茶柱句会の読者との距離がぐっと接近する思う
その意味で物理学者にして随筆家で俳人でもあった
寺田寅彦(1878〜1935)の句
<哲学も科学も寒き嚏(くさめ)かな>などは示唆に富んでいる
また 真鍋呉夫(1920〜2012)の句
<露の戸を突き出てさびし釘のさき>なども
味わい深く示唆に富む
せめて国語辞典や広辞苑を繙く程度で理解できる日常語での表現をお願いしたい

それでは
茶柱句会の読者の皆様方
句会にご参加下さった佳き俳人を目指す皆様方良いお年を──

─俳句なう─「第51回茶柱ツイッタ−句会」のお知らせ
12月8日〜12月22日締切り 2014年1月1日(元旦)掲載予定
一人6句まで(1ツイ−ト3句以内×2ツイ−ト)
兼題は<初詣><御慶(ぎょけい)><初富士>
あるいは自由題(当季 新年・暮)
横町恒例の日本(すなはち世界)で最初の元旦初句会 
継続中の方はもちろん 再挑戦の方も大歓迎
子育て中の鈴鹿市の天白さんもこの機会に
奮ってご参加あれ──


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