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あきら「茶柱句会 第三部 第42回茶柱ツイッタ−句会」

─俳句なう─
「第42回茶柱ツイッタ−句会参加作一覧」
(着信順 投句のまま)
2013年3月8日〜3月22日締切り
1ツイ−ト3句以内×2ツイ−ト以内
兼題 雛祭 啓蟄
自由題 当季(春)



寺内町の旧家の軒端雛めぐり

啓蟄の公園に人ひとの群れ

ひたすらに千有余年修二会かな

菜の花の里をぐるりと廻りけり

白木蓮ためらふ春の背を突き

春昼のカフェ中之島茲はパリ
(以上六句  大阪市 あきら)


雛まつり子午線通る人麻呂社

雛まつり嫁ぎし娘もう四十

啓蟄や郷に除染の砂袋
(以上三句  加古郡 はつを)


一年生角新しき道具箱

担ぎ売り見晴るかす山霞けり

あぜ道の小手毬の花摘まず置く

花嵐途切れ途切れに鳥の声

海棠の八重の憂いの重さかな

子どもらが手足投げ出し蓮華草
(以上六句  横浜市 兎巣)


字句補足説明
順番に
雛 啓蟄(3月5日) 修二会()しゅにゑ)(3月1日〜15日) 菜の花
白木蓮 春昼()しゆんちう)が春の季語 
雛めぐり 大阪府富田林市に寺内町(じないまち)という
重要伝統的建造物保存地区(環濠集落)がある 
江戸時代から続く 南河内最大の地主 
旧杉山家住宅(重文)や明治時代の旧田中家住宅などの軒先に雛飾りが展示され
歩きながら鑑賞できる趣向 
ことに杉山家は女流歌人石上露子(いそのかみつゆこ)(1882〜1950)の
生家ということもあり 訪れる人も多い 
与謝野晶子(1818〜1942)らが主宰する「新源社」(明星発行)の
社友として活躍
啓蟄 春になって土中の虫が地上に這い出してくること 二十四節季のひとつ
虫ばかりか人間も春の日差しを受けるために公園に出てくる
修二会は修二月会のこと 東大寺二月堂で執り行われるのを特別に<お水取り>
と称す 奈良時代の752年から今年は1262回目 
一回の中断もなく続けられてきた
法会 ひたすら本尊の十一面観音に罪過を悔過し続け 
国家安泰・国家繁栄を願う
菜の花の里 大阪府東大阪市に地元ゆかりの作家 司馬遼太郎記念館がある
近くに樟蔭女子大学記念館があり 
そのOGでもある田辺聖子さんの書斎を再現した
田辺聖子文学館
樟蔭学園の礎を築いた森平蔵(1876〜1960)旧居(現・樟徳館)
司馬遼太郎(1923〜1996)の
「街道を行く」の挿絵を描いた須田剋太(1906〜1990) 
益子焼の島岡達三(1919〜2007)の作品や映像を展示した喫茶店「美術館」
などを暮らし方研究会のメンバ−と半日かけて歩いて廻った
最寄の駅でいうと 近鉄奈良線 小阪駅と八戸の里駅 
大阪線 長瀬駅との三角ゾ−ン 他にも近畿大学があり 
菜の花の里というには開けた学生街
本稿作成中に東大阪市出身の囲碁棋士 井山裕太(23)さんが棋聖位を獲得の報
七大タイトルのうち現在六タイトル(六冠)という偉業達成 東大阪市恐るべし
白木蓮 木蓮の傍題で春の季語 木蓮のなかで最も早く開花
若干のばらつきはあるが 3月14日ごろには ほぼ満開
春のほうが春になりきるのを躊躇しているときに凛然と咲く
僕はその潔さが好きだ
大阪の中之島には明治・大正期の西洋建築が残る
春の昼下がりのカフェにいると ふとパリにいるような気分になる 
はつをさんの句
順番に雛まつり 啓蟄が春の季語
人麻呂社 万葉歌人 柿本人麻呂が祭神
人麻呂神社は奈良にも数多くみられるが ここは子午線の下なので明石市人丸町
親からみればいつまでも娘は娘 嫁いだ娘ももう四十歳 雛まつりの感慨
2年目の啓蟄も除染作業は難航中 もう1ミリシ−ベルト下げるのが難しい
砂袋がリアル 
兎巣さんの句
順番に一年生 霞 小手毬の花 花(嵐) 蓮華草が春の季語
兎巣さんなりの個性的な表現が復調の兆し
<角新しき道具箱>の即物的表現が的確
これなら読み手に誤解を与えることがない
おまけに一年生(入学の傍題の季語)までがピカピカして見えてくる
短い俳句は だらだら説明している暇がない
これくらいズバッと言い切らないと思いが伝わらない
担ぎ売り()振り売りともいう)は商品を声を出しながら売り歩く行商の人
一息ついて霞かかった山を見晴るかしたところ
あぜ道に咲いている小手毬の花は 手折らずそっと置いておこうという
兎巣さんの気持ちが現れた
花嵐という季語はとくにないが 花は桜で春の季語
桜は植物としての視覚的な面に重きを置いた表現
花は心象の心に映った面に重心をおいた表現
と季語歳の解説に学んだ
蓮華草は紫雲英(げんげ)の傍題の季語
このような光景はどんだん遠のいていく 貴重な記録


<同人欄>

「二年」あきら(代表同人)vol.30

若布刈る灯り点らず夜明け前

二年目の三月の海祈る無事

錆びしまゝブランコ二年除染待つ

二年目の平たき大地春疾風 

3・11忌雨ニモ負ケズ生きるべく

字句補足説明
表題の「二年」 2011年(平成23年)3月11日 東日本大震災からの「二年」
若布(わかめ) 三月 ブランコが春の季語
<3・11忌>については説明を要す
朝日新聞「高橋睦郎・季をひろう」は
いつも含蓄のある俳句や季語の解説が掲載されている 
3月9日付では忌日について高橋睦郎さんの見解が述べられていた
<>内に少し引用させていただく 
<現在 歳時記に見る季題・季語は 
過去のさまざまな時点で生まれ定着したもの
典型的なのが忌日句 基本的には世間的に名のある個人の死を哀悼し
追慕するものだが 多数の死者を追悼するものもある
明治以後では 大正12(1923)年9月1日の関東大震災による震災忌
昭和20(1945)年8月6日広島・同9日長崎への原爆投下による原爆忌
同15日の太平洋戦争終結による敗戦忌などがそれだ
国民全体にとって二年後の今も現在進行形ともいえる
平成2(2011)年3月11日の
東日本大震災による忌日も当然これに加わろう(中略)
これをなんと呼べばいいか
とりあえず3・11忌・東日本忌・みちのく忌(後略)>  
というわけで 正式な季語として確定されたものではない
そうなるには 誰もがナルホドとうなる名句が生まれなければならないだろう
作家や著名人の忌日の例
太宰治<桜桃忌>芥川龍之介<河童忌>司馬遼太郎<菜の花忌>
角川春樹さんの句<胸底の枯野ひろがる虐殺忌>が思い浮かぶ
確立された季語ではないが 鬼気迫るものがある
小林多喜二の忌(1933(S8)2.20没)を<虐殺忌>いつか残る気がする
「雨ニモ負ケズ」の句は岩手県花巻生まれの
詩人・宮沢賢治(1896〜1933)の詩の表題との取り合わせ
表題の「二年」については忸怩たる思い その反省を込めた
震災の一週間ほど後<しばし耐ふやがて三春の瀧桜>と詠んで震災句に投稿
三春の瀧桜は咲くには咲いたが復興は<しばし耐ふ>どころか 未だに未解決
無責任極まりない まっ赤な嘘の句となってしまった


「いかなご」はつを(同人)vol.28

手の甲にいかなご付けし量り売り

いかなごの海煌くや春を呼ぶ

朝食は一千匹の?子煮

0春眠のはかなき夢や干され蛸

春眠の蛸めつむるや魚の棚

字句補足説明
順番にいかなご ?子(いかなご)煮 春眠と春の季語 
はつをさんの地元の春の風物詩
いかなごは関東ではコウナゴと呼ばれている
旬の時期は一瞬なので 朝網と昼網の二度漁をする
新鮮なまま佃煮(釘煮)にするので 売買も忙しい
市場や漁場での臨場感が伝わってくる
朝食の1千匹は数えたことはないが いわれてみればそうかもしれない
人間は厖大な量の命を戴いて生きている
それに比べて明石名産の蛸はのんびりとひょうきん
春眠の季語がよく似合う
魚の棚は明石港に近い市場<魚ん棚>と地元では呼ばれている


第1回立柱賞受賞記念俳論 はつを(同人)
連載「月山へ─芭蕉追慕の旅─」vol.2


<要約メモ 1>
「奥の細道」芭蕉の名句の地で俳句を詠む
第1回目の旅(はつを)平成20年5月16日〜5月21日
(H20年岩手地震の為時期変更)
凡例 各章の内容及び俳句や本文が踏まえている文学的根拠
(古歌・古典・漢詩文等)
<>内は本文の章の名称・「 」内は奥の細道の本文・
( )内は歌枕等の詳細を記す 
文中の句の後尾の(芭)は芭蕉の句 (は)は作者はつをの句を示す

<発端> 「月日は百代の過客にして・・・」の書き出しは李白の詩より
「古人も多く旅に死せり」古人とは 李白・杜甫・西行・宗祇を指す
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家(芭)
<旅立ち(千住)>元禄2年 3月27日(陽暦5月16日)
(はつを・陽暦平成20年5月16日)
「前途三千里の思ひ」李陵の詩より
「あけぼのの空朧々と」木下長嘯子の歌集による
行く春や鳥啼き魚の目は涙(芭)
薫風や矢立初めの橋の上(は)
<草加> 3月28日(5月17)
<室ノ八嶋>3月28日(5月17日)(5月17日)
歌枕(藤原定家
「くるる夜は衛士のたく火をそれと見よむろのやしまも宮こならねば」
他藤原実朝等)
<日光>4月1日(5月20日)(5月19日)(5月18日)
心惹かれる人との出会(自ら仏五佐衛門と名乗るよろず正直者)
あらたうと青葉若葉の日の光(芭)
万緑に千人武者の消ゆるかな(は)(東照宮の渡御祭に出くわす)
「黒髪山は霞かかりて雪いまだ白し」伊勢物語第9段より
<裏見の瀧>4月1日(5月19日)(5月18日)
「飛流して百尺」李白の絶句より
しばらくは瀧にこもるや夏の初め(芭)
郭公や裏見の瀧へあと半里(は)
<那須野>4月2日(5月20日)(5月19日)
歌枕(源実朝「もののふの矢並つくろふこ手の上に霰たばしる那須野篠原」や
「菅菰抄」に基づく)
早稲の香や那須与一の弓の的(は)
蒙求の「管中隋馬」謡曲「遊行柳」等古典文学を引用
<雲巌寺> 4月5日(5月23日)(5月19日)
芭蕉が深川で1年半参禅していた仏長和尚の草庵(縦横5尺)を雲巌寺に訪ねる
啄木鳥は庵やぶらず夏木立(芭)
万緑や丹橋渡らば雲巌寺(は)
<黒羽>4月16日(6月3日)(5月19日)
黒羽滞在の2週間の殆どの期間 館代(城代家老)の手厚いもてなしを受け 
その邸で過ごし
各所を見物す その間に弟子の桃雪・翠桃兄弟(高級武士)らとの
江戸以来の再会
この章段の本意は 人々の歓待そのものを描いている
夏山に足駄を拝む首途かな(芭)
茅葺の鐘撞き堂や百日紅(は)
<殺生石>4月18日(6月5日)(5月20日)
歌枕(謡曲「殺生石」)
野を横に馬引き向けよほととぎす(芭)
<遊行柳(ゆきやう やなぎ)>4月20日(6月7日)(5月20日)
歌枕(謡曲「遊行柳」 西行「道のべに清水流るる柳陰・・・」より)
田一枚植ゑて立ち去る柳かな(芭)
これぞかの遊行柳や植田風(は)
<白河ノ関>4月21日(6月8日)(5月21日)
「旅心定まりぬ」旅を棲みかとする心境に至る
歌枕(平兼盛等の和歌・故事・古歌等を本文にちりばめている)
卯の花のかざしに関の晴着かな(曾良)
<つづく>
本稿は「奥の細道」原文に沿って現地を踏破された作者が
要約されたものを編集したものです
原文・現代語訳・朗読などはインタ−ネット検索でも触れることができます
(文責あきら)

<講評 あきら(茶柱句会主宰)>
参加者3名(274名)参加句数15句(62句)( )内は累計
同人のはつをさんの第1回立柱賞受賞記念寄稿の連載中(全5回+補遺)
<要約メモ>は奥の細道のエッセンスであり はつをさんの軌跡
これを辿れば 奥の細道の文学探訪にもなる
前回は編集の都合で掲載できず失礼しました
今年は桜の開花が全国的に殊のほか早く 東京では既に満開と聞きます
大阪でも天神橋の袂 僕が標本木としている桜が3月21日に開花
当句会では 桜の開花の感動を詠むタイミングを失ったようです
兎巣さん 十巣さんの頃のこの感覚を一層研ぎ澄まして継続して下さい
残念ながら天白さんは欠詠

─俳句なう─
第43回茶柱ツイッタ−句会」のお知らせ
4月8日〜4月22日締切り  5月8日掲載予定
一人六句まで(1ツイ−ト3句以内×2ツイ−トまで)
兼題 <エープリルフ−ル(四月馬鹿)> 
あるいは自由題(当季 春)


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