茶柱横町 茶柱横町入口へ
 
 
プロフィールを見る
前を見る 次を見る

井上あきら習作篇 その三十七 当季雑詠


「夏祭」
七月や船乗り込みで来る歌舞伎


セピア色巴里の七月十四日


汗の額腕で拭ふ女の子


天神祭稚児より目立つ若き母


川に出天神祭始まりぬ


汗みどろ宮入拒む願人かな


河童忌や黄瀬戸の壺になに活けん


籐椅子やたゆたふ夢のロッキング


山門を墨染と借る白雨かな


ばうばうと地山に還る夏の庭


塩食らひのつぴきならぬ蛞蝓




<字句補足説明>
【本稿の季語の説明については その多くを角川書店編
「第三版俳句歳時記 夏の部」によっています】

今回の主題は「夏祭」(なつまつり)
明日 七月二十三日は二十四節季の大暑(たいしょ)暑気のピーク
十三日は盆の入りで十六日までが盆の期間
十五日は中元
正月十五日は上元 十月十五日は下元 合わせて三元
麻雀では大三元(白 發 中)なら役満・・・
中国の金品を捧げて贖罪(しょくざい)する日が
日本で上司や恩人らに贈り物をする習慣になったのが「お中元」
夏の三大祭の二つが関西で続く
十六日は祇園祭「宵山」 十七日は山鉾巡行
中村汀著「祇園会」(古志社)に祇園祭の秀作がならぶ
二十四日は天神祭「宵宮」二十五日は陸渡御・船渡御

「七月」(しちがつ)が夏の季語  二句
<一> 船乗り込み(ふなのりこみ)は
「七月大歌舞伎」(7月3日〜27日)を
触れ渡す恒例行事(6月29日)
関東に歌舞伎の拠点が移って久しい
関西・歌舞伎の復興をかけた公演
道頓堀・戎橋から出演する歌舞伎役者が幟を立てて
船に乗り込み 川伝いに触れ渡してゆく
大正十三年(1924年)に途絶えた船乗り込み
復活したのは 二代目澤村藤十郎の発案といわれる
現在 関西・歌舞伎の二枚看板は
二代目澤村藤十郎と十五代目片岡仁左衛門
渋いところでは市川左團次が健在
藤十郎によれば「舞扇に俳句を書いて投げ込んで下さる
風流な方もいらっしゃる」とか
蒸し暑い浪花の町を涼しく過す粋な文化
残念ながら 私にはそのような粋な風流はまだない

<二> 巴里の七月十四日はルネ・クレ−ル監督
「Quatrorze Juillet」(七月十四日)
フランス革命を扱った白黒映画の原題
日本で上映の際「巴里祭」と邦題がつけられ
フランス革命が巴里祭に化けた
昨年は<モノクロの巴里の七月十四日>として習作を掲載
自由 平等 博愛の市民権を勝ち取った
フランスの革命記念日(1789年7月14日)がセピア色になって久しい
ところで 句に一日(一年)の長がみられるだろうか?
「巴里祭」が日本では 暑気払いのネタにされているのはあいかわらず
そのフランス 2010W杯では予選リ−グ敗退の番狂わせ
理由はチ−ム内の不協和音
監督のエゴとそれを上回る選手のエゴの激突だったとか・・・

「汗」(あせ)が夏の季語 二句 
<一> 汗が滲むお額(おでこ)を腕(かひな)で拭う女の子
じつにきっぷがいいところが可愛い

<二> 山車の上の汗みどろの願人(がんじ)が宮入を
拒んで門前で駄々をこねている
祭りの開始と渡御の到来を告げる触れ太鼓(催太鼓)の打ち子を
天神祭では願人という
朱色の中折れ帽のいなせな連中
宮入してしまうと祭りが果てる
させてなるものかと力の限り粘る
駄々をこねる子どもに似ている
天神祭のフィナ−レの見所の一つ
 
「天神祭」(てんじんまつり)が夏の季語 二句
昼間の陸渡御(りくとぎょ)は都会のアスファルト舗装
の蓄熱と照り返しで実に過酷
<一> 見物人もさることながら
お稚児さんのような可愛い幼児には さぞかし辛いものがある
そこへいくと 母は強し
げんなりした子とは別格の晴れ姿
稚児の母は まだ若く気合いが入って見栄を張る

<二> ようやく陸の巡行が済んで船渡御(ふなとぎょ)になって一息つける
やはり 涼しい川に出て天神祭を楽しむ余裕ができる
ほっとした実感

「河童忌」(かっぱき)が夏の季語
七月二十四日 芥川龍之介(1892〜1927)の忌日 昭和二年自殺
俳号は我鬼 死後「澄江堂(ちょうこうどう)句集」刊行さる
とにかく日本で最も暑苦しい時期
天神祭の宵宮の日でもある
黄瀬戸(きぜと)は美濃焼の一つ
金色に近いその色合いと肌理は いささか安っぽくもあり
どこがいいのかよくわからない
私は 織部のデザインと風合いを好む
句としては 河童忌と黄瀬戸との取り合わせ
さて あなたならどんな花を活けられますか?
河童忌の例句には
内田百聞<河童忌や棟に鳴き入る夜の蝉>
石塚友二<青年の黒髪永遠に我鬼忌かな>などが

「籐椅子」(とういす)が夏の季語
日本には昔から山川ラタンという籐製品のメ−カ−がある
ラタン(rattan)は籐の英語表記
何十年も前の安月給で購入したロッキンググチェアが健在
物心ついたときから大量生産の工業製品に囲まれて育った
私には天啓のように それは見えた
営業の人が真剣な眼差しで
「知的障害者が一品々々手作りした作品ですので」
当時 事情も知らず気安く値切った私に対する答えだった
いろんなことを思い巡らしながらロッキングチェアで
居眠りをしているところ

「白雨」(はくう)が夏の季語
夕立 夏のにわか雨のこと
機会があればじっくり観察してみて下さい
確かに雨粒の白いのがわかる
それにしても白雨とは綺麗な表現だ
句は 急な雨に借りた山門で墨染衣の僧と一緒になったところ
色で表現された雨は他にも
雨の国 日本語の情感の豊かさ
緑雨(りょくう)新緑の頃に降る雨(春の季語)
紅雨(こうう)春 花にそそぐ雨(春の季語)など
時雨(しぐれ)色はついていないが秋の末から冬の初めに
降ったり止んだりする雨(冬の季語)

「夏の庭」(なつのには)の夏が季語
山麓の住宅地の庭は
手入れを怠ると すぐもとの地山(ぢやま)に還る
六甲山の南麓の六麓荘などは 復元力も旺盛
住む人にとっては維持費も大変なことだが
それだけ復元力があるということは 生きている証し
自然環境としては素晴らしいこと
茫々(ばうばう)は髪や草が勢いよく伸びる様
「蛞蝓」(なめくぢら)が夏の季語
マイマイ目(柄眼類)の有肺類
陸生の巻貝だが 貝殻は全く退化
という広辞苑の説明では 何のことか 
さっぱり分らない
平たくいうと貝殻をなくした蝸牛(かたつむり)のようなもの
塩を食らうと水分が抜けて溶けてしまう
のつぴきならぬ(退っ引きならぬ)とは
避けることも引くこともできない 進退きわまること
この句 塩を振掛けられて立ち往生する蛞蝓
このようなことは人間界や人生にも少なからずあること
件の蛞蝓の姿を一概に笑えない
明日はわが身かも・・・
(245句目)


井上 明関連サイトリンク
暮らし方研究会
http://www.kurashikata.gr.jp

第60回
茶柱ツイッタ−句会

第59回
茶柱ツイッタ−句会

第58回
茶柱ツイッタ−句会

バックナンバーINDEX
前を見る 次を見る
| 著作権について | このページのトップへ | 茶柱横町入口へ |