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井上あきら習作篇 その三十 当季雑詠


「芽吹き」
白木蓮ポンポン船の喧し


はくれんを心に据ゑて三年かな


菜の花の大気滲んでゐたりけり


物種を蒔くとき神の心地ぞす


賢人の数寄屋ありけり竹の秋


一斉に幾千万の芽吹きかな




<字句補足説明>
【本稿の季語の説明については その多くを角川書店編
「第三版俳句歳時記 春の部」によっています】

「白木蓮」(はくもくれん)が春の季語 木蓮の傍題 
三〜四月に葉にさきがけて花を開く
中之島公園の川沿に数本の白木蓮が植えられている
川を往来するポンポン船の喧(かまびす)しいこと
静と動の対比

「はくれん」が春の季語
「白木蓮」に同じ 三年前のいま頃
俳句を志して俳句結社「古志」に入会
その少し前 俳句界は悲嘆に暮れていた
2007年(平成19年)2月25日俳人 飯田龍太逝去
俳句関連誌はどこもかしこも追悼特集
お陰で現代俳句界の近現代史を労せず学ぶことができた
その白眉が 現代詩手帖特集版「飯田龍太の時代」山盧永訣
私の座右の書でありバイブルになっている
飯田龍太に学んだこともある 古志の先輩 Tさんが
一周忌かなにかの法要に甲斐へ行かれる途次の句
<はくれんを浜松に見て旅半ば>に感銘を受け
いつか<はくれん>の句をと思いつづけたのがこの句
<三年かな>は(みとせかな)と読んで下さい
<旅半ば>どころか<道遠し>と思う今日この頃
それにしても<石の上にも三年>とはいい得て妙
腕前はともかくも 続けているか否かの試金石ではある

「菜の花」が春の季語
私には一面の菜の花のあたりが
菜の花いろに滲んでいるように見える
春の湿り気のある大気
ただそれだけを描いた一句

「物種蒔く」(ものだねまく)が春の季語
野菜などの種を蒔くこと
花種なら 花の種を蒔くということ
彼岸から八十八夜前後が適期とされる
種を蒔くという行為は たんにその成果としての
作物の収穫や花を愛でるばかりだけでなく
植物の生命を繋げるという崇高な面がある
<神の心地ぞす>はそのような気持ち

「竹の秋」が春の季語
春先になると竹は前年に蓄えた養分を
地中の筍に送るため 葉が黄ばむ
それを他の植物の秋枯れになぞらえていう
逆に竹の春といえば秋の季語になる
京都の手前の大山崎に「聴竹居」という
1923年(昭和3年)に建てられた住宅がある
なにが素晴らしいかというと
A 自然エネルギ−(主として空気 風)を
科学的に活用した環境共生住宅の魁であること
B デザイン的には日本の数寄屋と黎明期のモダニズム
とのデザイン融合がなされたこと
C そして いまなお住み続けられていること
建築家であり住み手でもあった藤井厚二(1888〜1938)の
茶・華道の雅号<聴竹>の住居ということで<聴竹居>
3月6日から4月11日まで大阪市立住まいのミュ−ジアム
「聴竹居」と藤井厚二展----日本の気候風土に根ざした住宅の追求----
竹中工務店 GALLERY A4(ギャラリ−エ−クワッド)の企画
<竹林の七賢人>ならぬ<竹中の賢人の家>

「芽吹き」(めぶき)が春の季語 木(こ)の芽の傍題
春になって芽吹く木々の総称
木の芽立ちは木の種類・寒暖の違いによる遅速がある
萌黄色・浅緑色・緑色・濃緑色など
さまざまに萌え出る木々の芽の美しさは時として花をも凌ぐ
この句 地元の御堂筋の銀杏の芽吹きを描いていたが
<御堂筋幾千万の芽吹きかな>
現在 御堂筋には千本弱(970本)の銀杏が植えられている
一本当たり葉の数3万枚と見積もれば ざっと3000万枚
この句 場所も木の種類も無くし ただ<一斉に>とした
(193句目)


井上 明関連サイトリンク
暮らし方研究会
http://www.kurashikata.gr.jp

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