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井上あきら句作篇 その七 当季雑詠


「光の雫」
言霊は光の雫菜花咲く


日の本にまだ濡れゐたり桜蝦


太秦のセットに柳芽吹きけり


春霞上海行きは定刻に


詩のやうな言い訳メイル菜種梅雨


春愁をとゞまりゐたる螺鈿かな


紙の花拾ふも嬉し花会式


窓際の人こそよけれ花の席




<字句補足説明>
「菜花」は「菜の花」のことで春の季語
「光の雫」はビッグ・バン宇宙論で物質の元になる粒子が生じる前の状態(宇宙物理学者 佐治晴夫博士)言葉や俳句になる以前の無から現れる(詩魂)のようなもの 菜花を春のビッグ・バンの象徴として取り合わせせた句

「桜蝦」(さくらえび)が春の季語
桜蝦は相模湾や駿河湾の深いところで獲れる緋色の小蝦
天日干しにされた直後はまだ濡れて透明感のある桜色をしている
観光写真では雪を戴いた富士山と気比辺りの緋色の絨毯が定番

「柳芽吹き」(やなぎめぶき)が春の季語
太秦(うずまさ)は京都の北西はづれで東映の撮影所があった
いまは映画村になっていて時代劇の実物セットが展示されている
セットそのものは虚構だが
植えてある柳は生きていて 芽吹いて春を告げている 

「春霞」(はるがすみ)が春の季語
大阪湾のコスモスクエアから上海直行定期便が就航
穏やかな春霞の中に定時発で平穏に出航して消えて行くところ
 
「菜種梅雨」(なたねづゆ)が春の季語
三月下旬から四月にかけて 菜の花盛りの頃に降り続く雨
六月ごろの梅雨より鬱陶しい気分

「春愁」(しゅんしう)が春の季語
春の季節のなんとなくうれわしい気持 はるうれい
「螺鈿」(らでん)にはそんな春愁が封じ込められているように見える

「花会式」(はなえしき)が春の季語
奈良 西ノ京の薬師寺の修二会(しゅにえ)が「花会式」(3月30日〜4月5日)
東大寺 二月堂の修二会は「お水取り」という名で知られています
どちらも春を迎える荘厳な宗教儀式
ことに薬師寺の花会式は造花で飾られた薬師三尊像の前で南都声明が唱えられ
紙の花が撒かれる華やいだもの
例年 関西では修二会が終わると本格的な春になります
春に「花」といえば「桜」で春の季語
一時期 窓際族という嫌な言葉が流行った
しかし 考えれば春の窓際は花見の特等席ではないか

<俳句の構造 其の一>
五 七 五の十七音数律に一季語を基本型とします
各部位は/上五(かみご)/中七(なかしち)/下五(しもご)/と呼びます
慣例(特例)として 上五だけは五音数以上でも善しとされています

<俳句の構造 其の二>
切れ(きれ)俳句の切れには
句の詠まれた場面から切り取って一句を自立させる「前後の切れ」と
「句中の切れ」の二つがあります
この二つの「切れ」が最短詩の俳句が他の文芸と互して
自立するための要諦といえます
俳句を詠む人も読む人も この「切れ」の約束事と役割を理解すれば
その鑑賞はより一層深まります 拙句を例に説明してみましょう
言霊は光の雫菜花咲く
/言霊は光の雫/咲く菜花/ (/)が切れマ−ク
句の「前後の切れ」と「句中の切れ」があります
上五と中七は繋がって中七と下五の間に切れがある
つまりこの句は「言霊は光の雫」と「菜花咲く」を取り合わせた句といえます
けっして「雫菜花」ではありません
一方 切れをより明確にするために「切れ字」というものがあります
「や」「かな」「けり」が代表的なものとしてあります
近代の俳人 石田波郷(1913〜1969)は
「俳句はあくまでも韻文の髄の髄である」と主張し
<霜柱俳句は切れ字響きけり>(風切・1942年)という句まで残しています
また芭蕉は俳諧の切れ字の心得として「(連歌)の四十八字皆切れ字なり
用いざる時は一字も切れ字無し」(去来抄)と述べています
上の句 切れを表示すると /霜柱/俳句は切れ字響きけり/となります
霜柱は冬の季語 切れ字はないが 季語で切れているので強烈
けっして「霜柱俳句」ではありません
これは名詞で切れた例ですが
動詞の終止形で切れる切れもかなり強力です

井上 明関連サイトリンク
暮らし方研究会
http://www.kurashikata.gr.jp

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