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第8回 非定型 自由律

これまで七五調の定型に拘って鑑賞
さて
詩であるかぎり 語呂や形式よりもっと大事な

原初的な詩心----
つまり
感動を人に伝えたいと思う詩の本質的な心情に
言及しておかなくてはなりません

そこで今回は
非定型 自由律-----
といえば
種田山頭火そして尾崎放哉
引用は主として「俳句界」2007年4月号
山頭火と放哉 坂口昌弘によります

鑑賞
<イ>
うしろすがたの(七)しぐれてゆくか(七)
山頭火

<ロ>
入れものがない(七)両手で受ける(七)
放哉

<ハ>
一盃呑むと(七)衣ぬぐ僧(七)
武玉川

<ニ>
たんぽぽちるや(七)しきりにおもふ(七)母の死のこと(七)
山頭火

<ホ>
春の夜の(五)みほとけのひかり(八)
山頭火

<ヘ>
ぬいてもぬいても(八)草の執着をぬく(十)
山頭火

<ト>
やつぱり一人が(八)よろしい雑草(八)
山頭火

<チ>
ともかくも(五)生かされてはゐる(八)雑草の中(七)
山頭火

<リ>
蜘蛛は網張る(七)私は私を(八)肯定する(六)
山頭火

<ヌ>
墓のうらに廻る(九)
放哉

<ル>
つくづく淋しい(八)我が影よ(五)動かしてみる(七)
放哉

<オ>
一日物言はず(九)蝶の影さす(七)
放哉

<ワ>
昼寝起きれば(七)つかれた物の(七)かげばかり(五)
放哉

<カ>
うつろの心に(八)眼が二つ(七)あいている(五)
放哉


分析 武玉川(むたまがわ)は江戸時代の俳諧の前句に付けた付け句集
川柳と俳諧が未分化の頃のもの「柳多留」に似ている「武玉川」より
少し遅れて 前句付という簡略化した遊戯として川柳が確立された

俳諧連歌は数人から五・六人で一座がつくられた
先ず一人(主に宗匠)が五七五の句を「発句」
次の人が七七と「付句」付ける
その次の人はそれに五七五の句を付ける
これを以下順に繰り返す
36句をもって一巻とした
「発句」以外は前の句に付けるので「付句」という

芭蕉はこの発句の名人
当時のス−パ−スタ−
宗匠と呼ばれ尊敬された

明治になって子規がこの発句を独立
させて近代俳句を確立した

「俳諧武玉川」については
俳句の森「武玉川」のHPに格調高く解説されているので
興味のある方は参照されたし
アドレスは
http://www.geocities.jp/haikunomori/mutama/what_mu.html

さて
山頭火と放哉
この異端の二人の師は荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)
その師は河東碧悟桐(かわひがしへきごどう)子規の直系の弟子
有季定型・写生を実践し「ホトトギス」を主宰した高濱虚子と双璧をなした人物

近代俳句を確立した子規から二つの俳句の流れが生じたことは実に面白い現象だ
さらに子規の精神を重んじる「ホトトギス」から多くの俳人が育ち
それぞれ現代的な俳句観から個性を開花させている
つまり有季定型(五七五)十七音数律という世界最短の詩形式でも
無尽蔵に創作できる自由が実証されていることになる

まあ気長に 俳句にいつ辿りつくかは保証の限りではありませんが
万葉集や古今和歌集などにも触れながら日本語の言霊による
詩の創作に勤しんでみようではありませんか
ここから感覚的に心の赴くままに
例えば「枕詞」や「歌枕」なども鑑賞しながら
いかがでしょうか----

さらに山頭火 放哉について
詳しく知ろうとする方には
松岡正剛の千夜千冊「山頭火句集」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0330.html

「尾崎放哉選句集」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000195/files/974_318.html

をご覧になることをお奨めします


<出展>
本稿における参考事例・内容解説などについては、特段の説明がない限り、
その多くをフリ−百科辞典「ウィキペディア(wikipedia)」によっています。
ここにその出展を明記させていただきます。

井上 明関連サイトリンク
暮らし方研究会
http://www.kurashikata.gr.jp

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