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「未熟とは「未(いま)だ熟さぬものの、やがて確かに熟するもの」のことをいう。いつまでも熟することのないものは「不熟」といい、結局は、熟することなくいのち果てるもののことだ。つまり「未熟」と「不熟」は対極(正反対)に位置するものである。というわけで「未熟なる若い衆」とは「有望な可能性に充ちた若者」の意味である。

第21回「1万歩ウォークと初体験」本庄慧一郎近況メモ

●すでに8年余のムカシになった。
「10万人に1人の確率」という難病(といわれている)ギラン・バレー症候群亜型ミラーフィッシャー症候群を罹病した――が、「悪戦苦闘」という言葉そのもののようなリハビリに耐えて復調した。

●いつもマスコミ人種の群れの中にいた。
ずっとラジオ・テレビ/TVCF制作などを生業にしていたから、その仲間はすべてマスコミ人種だった。つまり、のべつ「群れ」の中にいた。チヤホヤもされていた。その後、大転換して「時代小説――文庫書き下ろし」に手をつけ約50冊ほどホンになった。(その以前には広告評論、ハウツウもの、五七五ものなどのホンがあり、合計で7、80冊になるか)

●放送作家として「ビートルズの来日公演」に関わる。
 東芝EMI(当時)提供のラジオ番組の構成ライターだったので、武道館の2F前列のシートで「取材」した。
時代小説に入れ込んでいた時には「ビートルズを取材した時代小説家」なんて口にしていたコトもある。

●あの3・11――フクシマの災禍の直前からの迷い――。
とにかく、物書き業としてアレコレ手当たり次第にやって来て(やって来られて)またぞろ、「このへんでやっぱり……」なんて不満めいたキモチを抱き「原点」になった舞台脚本に再挑戦することにした。

●去年2012年9月テアトルアカデミー睦組公演。
『炎と愛のフィナーレ/あるレビュー劇場の1945』
約40名という出演者が熱演する舞台だった。



●本年2013年10月同じ睦組公演。
『守るも攻めるも/B級火の玉映画物語』
 この公演も大好評だった。


―― and ――

●万歩計を気にせずに歩くのがいいね。
作家・脚本家などの職業を、江戸時代は「居職――いじょく」と称した。
つまり、「自宅で座って仕事する職業」というワケだが、裁縫師や錺師(彫金業)や筆作り師なども同族か。
座業となると、運動不足になる。そうでなくとも危うく(あのビョーキで)車椅子か杖の世話になるピンチだった。

●1万歩ウォークという習慣!
あのとんでもねェ疾病の「後遺症」はとりあえずナシにした。
もともと歩くことは好きだった。とはいえ、グループでの登山とか団体旅行というのは大キライ。ましてやヒマラヤ登頂とか太平洋ヨット横断なんて、カネ・ヒマ・体力なしの3欠人(さんけつにん)には無縁だもんネ。

●ヒマを見ては……いや、ヒマを作っては歩く。
現在のバカTVの番組の中には、アホタレントの「食い歩き散歩」のようなものは多いが、こちとら、もっぱら「郊外」がコース。
前の仕事がワイワイ・ガヤガヤだったからもっぱら独り歩きがいい。
最近でも西武線花小金井から多摩自転車道をトコトコ歩いて小平まで。
その小平の大きな墓地を縦断して久米川に辿り着く。
ついでに、久米川から電車で川越まで行ったのデス。

●川越の「蔵の街」とか「時の鐘」はいいが、でも――。
駅近くの大型商業施設(店)が建ち並ぶあの風景は――?
都心の周辺にある街の風景とそっくり同じでね。
しょせんは面白くもなんともない。でも若い人がゾロゾロ、ワサワサと歩いていて――それだけのことだった。

***さてさて閑話休題(ハナシをちょっと戻して)***

●雑誌「東京人」の創刊編集チーフとの出会い。
趣味の良い――というより、マスコミの雑誌の中で品位とハイクオリティを具備した「東京人」の創刊は、評論家でもある粕谷一希氏の手になるもの。
創刊(1986年)してすぐ、図々しくもこの粕谷氏に「とうきょうヒッチはい句」の企画をプレゼンして「即快諾」を得て、5年間(月刊――1回4ヶ所のコラム)五七五とフォトを担当させてもらった。

●雑誌「東京人」に掲載(1987年〜1991年)された「とうきょうヒッチはい句」は、『東京ろまんちっ句』としては冬青社で書籍化され、忘れられないモノになった。



●時代小説に挑戦するきっかけ。
東京から江戸へとさかのぼり、資料などしらべて五七五とエッセイ風短文をかいたその作業が「文庫書き下ろし時代小説」を書くのに役に立った。

●「文筆業」として得手と思われるモノはやってきた。
放送作家としては、ラジオ・テレビの番組をイロイロやった。
TVCFの企画・コピー、そしてCMソングの作詞・制作もずいぶんやった。現在は「作家・脚本家」と明記される。
でも――新聞連載小説をという実績はなかった。
だが、来年2014年4月〜、その新聞連載小説に取り組むことになった。正に「初体験」の仕事である。
それは、小生の筆名「本庄」に関わりのある県の地方紙で、小生みずからが望んでの企画だ。「先祖供養」の思いを託した仕事になる。

●従来の時代小説は一貫して「創作――フィクション」だったが。
今回の新聞連載小説は、江戸時代の中・後期の「偉人賢人」の物語化である。(学校の教科書でも紹介されたお人!)
新聞社のキャンペーンの主企画になるはずだが、詳細はのちほど――ということで。

●初体験――というコトはとてもイイことだ。
にんげん長いことアレコレやっていると、「初体験」というモノもなくなる。
男としての初体験には、貴重でとってもGoodな印象をもっているけど――(いいかげんにしろ!)文筆業として、いまあらためて「初体験」に胸ときめかすなんて、やっぱりシアワセなんだろうな、と思うのデス。

●新しい年2014年には、茶柱横丁の住人の皆さん、読者の皆さんにも、ドキドキするような「初体験」があるといいですね。
心からそれを願っています。

1万歩ウォークでのスナップetc……。









本庄慧一郎の仕事机と書斎





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ブログ「本庄慧一郎のウィークリーエッセイ/社会&芸能つれづれ愚差」
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