「未熟とは「未(いま)だ熟さぬものの、やがて確かに熟するもの」のことをいう。いつまでも熟することのないものは「不熟」といい、結局は、熟することなくいのち果てるもののことだ。つまり「未熟」と「不熟」は対極(正反対)に位置するものである。というわけで「未熟なる若い衆」とは「有望な可能性に充ちた若者」の意味である。
第20回 「本庄慧一郎の近況報告」
ごぶさたしております。
「本庄慧一郎の近況ご報告」という名目のいわばこれはPRです。
でも――ぜひご高覧のほどをお願い申し上げる次第です。
みずから「ファイナル」と名付けてのライブ――読み語りドラマ「雪になる」とミニコンサートを企画しました。
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そういえば、ゴーリキーの「どん底」というシバイの中にこんなセリフがありました。
「いまの仕事が性に合っているなら、まあ人生もそう苦にならんだろう。でもその仕事がチグハグでしっくりいかないと、人生もそれだけで地獄みたいなものだな」(本庄流の意訳)
それでも小生、おかげさまで「物書き業」のハシッコで、ン十年も暮らしてきました。民放開局の当初からラジオ・テレビのホン書き、そしてTVCFの企画制作でせっせとはたらき、あげくにくたびれて(同時に飽きて!)いきなり方向転換。
「文庫書き下ろし時代物小説」なるものを約50冊。そして、あれこれの本もざっ50冊……。
でも2011年3月11日の東日本大震災の惨状には、心の根っこがゆらいで……またまた、現在のおのれの創作力に新しい刺激がほしいと、「やっぱり舞台やライブに関わるコトをやりたい」ということになりました。
もともと物書き業の師は、叔父でもあった小沢不二夫(ムーランルージュ新宿座出身1912年〜1966年)と、その小沢と親交のあった先輩の劇作家三好十郎氏(劇団民藝滝沢修主演「ゴッホ小伝・炎の人」など戯曲多数)の二つの劇団で、若くしてどっぷりシバイの魅力に捉らえられた身でありました。
ということで、いままでも時代物小説など書く作業と平行して、いくつもの本庄流「読み語りドラマ」の公演をやりながら、テアトル・エコー一三一回公演「大都映画撮影所物語」(2006年11月〜12月)テアトルアカデミー睦組公演「炎と愛のフィナーレ/あるレビュー劇場の1945」(2012年9月)など舞台の本を書きました。すでに新作品二本の脚本も脱稿しています。
今後は、あらためてエネルギーを集約して、舞台の脚本を――そして、今回のような「自作時代物・読み語りライブ」をと欲張っています。
この狛江の会場と平行して、中野区沼袋の呉服商山田屋さんの「シルクラブ」という素敵なスペースでも、この種のライブを実施する予定です。
どうぞ、ご支援ご観覧のほどを心をこめてお願い申仕上げます。
2013年9月吉日
HP→http://www.mochi-well.com/
ブログ「本庄慧一郎のウィークリーエッセイ/社会&芸能つれづれ愚差」
週1回の更新でこの2013年1月で通算410回になります。
たまには遊びに来て下さい。 |