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「未熟とは「未(いま)だ熟さぬものの、やがて確かに熟するもの」のことをいう。いつまでも熟することのないものは「不熟」といい、結局は、熟することなくいのち果てるもののことだ。つまり「未熟」と「不熟」は対極(正反対)に位置するものである。というわけで「未熟なる若い衆」とは「有望な可能性に充ちた若者」の意味である。

第9回 思考の[生前硬直]

グータラな若者は軍隊で叩き直せというが

先日、フランスのパリで、雇用制度案に対して反発する学生や若者が過激な行動で抗議した。その鮮烈な記憶は色あせていない。
 政府はそれを「暴徒」として制圧した。
 さらに、元環境相の女性政治家セゴレーヌ・ロワイヤルが「暴徒に参加する若者たちは軍事教練に参加させ鍛え直す。学校の教室には風紀担当の職員を配置してチェックする」という意味の発言をし、物議をかもした。
 この発言には、彼女の属する陣営は困惑し、右翼陣営のジイサンたちはやたらカッサイしたとある。
 わが日本でも「グータラな若者たちを叩き直すために、自衛隊に入隊させろ!」という軍国主義ジイサンの発言は何度も聞いた。
 戦争の有無も言わさぬ残酷さと、その悲惨な後遺症の現実を体験している者として、いかなる軍隊をも認めないが。
 さて、現実の社会に増殖する「グータラな若者諸君」はこうした発言をどう受けとめているのかね?

無感動・無責任・無分別

やたら殺人事件が頻発している。  親が実子を殺し、実子が親の命を殺める。
 かと思えば「ムシャクシャしていた。殺すのは誰でもよかった」とほざく殺人犯もいる。
 人間の生命が臨終を迎えたとき、その肉体は〔死語硬直〕を経てやがてたんなる〔物質〕へと変化し、あげく〔土へと戻っていく〕とされている。
 その一方、近ごろの若者の中には……いや、年配のオトナの中にも、思考の〔生前硬直〕のようなヒトがやたら目につく。
 つまり、なにごとに対しても無感動・無責任・無分別というまるで〔生きた化石〕のようなヒトがあきらかに増殖しているのだ。
 しかしこの化石人種たちの群れはいま、人間社会の仕組みや連帯やまっとうな営みを阻害する大きな原因になりつつあると考える。
 国や社会を1個の肉体として仮定すれば、この化石人種の存在は間違いなく、健全な血流を停滞させる重大欠陥部位になるのだ。
 同時に、この化石人種のような若者たちはやがて、戦争好きのジイサンたちの思うツボに嵌まって〔軍事教練によって鍛え直され〕さらに、勝手な正義論で武装された戦争に駆り出されることになるね。
 戦争とは、殺さなければ殺される。殺さなくても殺されるということですよ、若者諸君。
 勝つか負けるかだけのスポ−ツに熱狂するのはいいとして、政治や社会などには一切、無感動・無責任・無分別の不感症でいる――その単純細胞的思考力では、やがて君たち自身が生きながらにして地獄を体験することになるとぼくは断言します。
 なんにしても、いまの若者諸君の体力・精神力では、とても耐えられないだろうなあ。カワイソー。

追伸
 近代文芸社という出版社から「護憲」永尾章曹著という本が出ている。まだ読んでいないが、その広告のキャッチフレーズに「戦わないことで、負けることのない国を作ろう」とあった。
 このフレーズの意味と、そのための努力についてじっくり考えたいと思っている

「週変わりエッセイ・ニッポンの芸能人」
http://www.mochi-well.com

どうぞごらんのほどを。

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