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イントロ

私はとことん「閃き」にこだわって音を創り続けている。要するに、感じるままに音を出していく火事場の力持ち的演奏というか、やりたい放題なのである(笑い)。当然、客前で一人で演るのだが、それもお金までもらってね。いい根性してるよ、我ながら(笑い)。このようにして出てきた「音」は、今や私にとって言葉以上の表現であるとともに、自分が何者であるかを知るための最高のツールになっているのだが。

このような演奏を始めたのは1985年からなのだ。当時、アメリカから帰ってきたばかりで、ろくすっぽ演奏の仕事がなかったのである。簡単に言えば喰えなかったのである。もともとオーケストラやバンドなどで打楽器奏者として仕事をしてきた、いわゆるアンサンブル(何人かで演奏する)プレーヤーと言われるものであったし、アメリカ(ロスアンジェルス)で出た学校がハリウッドのスタジオミュージシャン養成学校であった関係で、当然、そう言ったタイプの仕事を探していたのだが……。 詳しいことは後述するので省略するが、要するに一人のアンサンブルプレーヤーが背に腹は代えられない状態でやむなく独りで演奏を始めたというわけである。というか、仲間がいないから独りで演るしかなかったのであるが。まったくの独りで舞台に立つのは生まれて初めての経験であった。それまで、ソリスト(独奏者)というのは、それに相応しい人とか独奏者としての能力に長けた優秀な人のみがなれるものであろうと思いこんでいたのだが……。

独りで演ると言っても簡単なことではない。まして、それまでまったく独りでやることを念頭に置いてなかったから決まったレパートリーもあるわけでも無し、レパートリーを作るにしても時間は無し。さあ困った。どうしよう……。アメリカへ渡る前は東京で活動していたのだが、そこで一時期、即興演奏のグループをやっていたことがあった。そのことを思い出して、エーイ駄目もとでやっちゃえってな感じで、まったくの即興(フリー)を演ってしまったのである。それも、空間というキャンバスに音色という色を思いっきり自在にぶちまける、描ききるといったコンセプトでね。ヤケッパチにも近いようなこの演奏が、自分でも思いもかけなかった「ソリスト人生」に展開していくとは……。

そうして20年が経ってしまったのであるが、演る毎、あまり使用する楽器は変わっていないのに、いまだに「新しい音」、すなわち「新しい自分」に出会い続けるのである。これでもかこれでもかといった具合にね。何度となく「これが自分なのだ」とわかったつもりが……。「こりゃあ想像以上に深いわあ、自分って」、いや最近は「人間って深くてすごいなあ」と感動しきりなのである。

今までは「音」を通して自分探しをし続けてきたのであるが、これからは自叙伝的な文章という形の中で、薄れかけてきた記憶(苦笑い)を呼び戻し、改めて「自分」、いや人間というものを確認してみたいと思っている。より混沌の中に入っていってしまうかもしれないがね。とにかくよろしくおつきあいください。

ほの暗・明るい時期

暗い時期

タイコ
(音楽・器楽トラウマ第2弾)

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