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其の二十 食事量

仕事机の上に置かれた濃い桃色のセルロイド製小物入れ。
クリップなどを入れて使っているこの楕円の小物入れは、
私が幼稚園の時に使っていたお弁当箱だ。
掌半分の大きさであるのに、その半分しか食べきれず
残してきたと、よく母にこぼされた。

食の細い少女のまま成長していたら、
さぞかし線の細いたおやかな
女性になっていただろうと悔やまれる。
成長途中で、大いなる方向転換を余儀なくされた。
そのせいで今の私がある。
背は伸びなかったが随分と肉の詰まった人間に成った。
脚など我ながら凄い。
「北の海で獲れた蟹のような女」という
比喩が在った様な無かった様な気がするが、
私が蟹だったら間違いなく「幻の特撰素材」として
金ぴかのシールを貼られ、取り引きされていたことだろう。
鮭児どころではないぞ。

小学校三年生の時分には、もう我が家の工場は閉鎖しており
父は勤め人になって殆ど不在であった。
母は妹を連れて実家に戻って生活していた。
来る日も来る日も祖母と私の二人だが
祖母が作る惣菜の量は、
工場の若い衆が居た当時のままだった。
二人で食べきれる量では到底ないのだが、
平らげないと祖母はすこぶる機嫌が悪い。
「血がつながっていないから食べられないんだ、アタシの料理は」と言う。
理屈は通じない世界であるからして、
子供は渾身で食べきることにする。
身近な人を喜ばせたいのは子供の性なので仕方ない。
ところで、逃げ道を失った子供は、
生きる為に時として驚異的な能力を開発するようである。
二日、三日と食べては吐くことを繰り返し、
そのうち、級友に「給食の女王」と渾名される
グルマン少女となったのである。
鮭児というよりフォアグラかも知れぬ。

其の三十八
太田道灌

其の三十七
子 供

其の三十六
御小遣い

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