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其の十三

写真

日本中の古びたアルバムの中、いったいどれぐらいあるのかわらかないが、
おそらく、くらくらするほどの枚数であるにちがいない。
父親が撮影した子供の写真の話である。

一時期は、日本中の子供が、「シェー」という奇妙な掛け声とともに
片足を曲げて腕を胸の前と、頭の上に回したポーズをしたものである。
川崎に住んでいた私のアルバムにも「シェー」姿のモノクロ写真があり、
岩手の畑に囲まれた夫の実家にも同じ「シェー」写真がある。

話を首都圏に限るのであれば、
「三越のライオン」と並んだ子供も、かなり多いと思われる。
しかし、三越のライオンの姿は、シェーをしていた心持ちと同様、
ほとんど記憶にはない。

三越

月に一度か二度、季節に合わせたよそいきの訪問着を出し、羽織を着て
日本橋の三越へ買い物に行くのが洒落モノな祖母の楽しみであった。
連れて行かれる子供の楽しみは、好きなものを買ってもらうことや
食堂でごちそうを食べることだと思うのだが。
そんなあまやかな記憶はすっかり失われている。
巨大でグロテスクなまでに微細なディテールを持つ天女像によって、
メモリーは全て食い尽くされていたようだ。

何故?

このように気持ちの悪い巨大な像がデパートに置かれているのか?
目が釘付けであった。
透明なガラス戸に機械の骨が透けるエレベータとともに
気味悪さ抜群である。
売場を移動し、もう視界には入らないのであるが、気になって仕方がない。
仕方がないので、再び見える場所に移動し、気味悪さを確認する。
女客、家族連れの多い買物客の目に、堂々と晒されている。
見下ろす尊大さと裏腹に、この明るさの下にあることが、
恥ずかしくもあり恐ろしい。
幼い私は天女像から目を離すことができない。

そうしているうちに、全ての衣類を2枚ずつ、買い終えて
満足した祖母とともに帰宅するのであった。
巨大な内臓模型のような天女像以外、
私の中には三越の記憶がない。

其の七十二
十分にご注意ください

其の七十一
一本木

其の七十
ダイヤと法灯

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