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其の十

小豆を煮る

漉し餡でも粒餡でも、小豆はごみとりから始まる。
お天気の良い日に、小豆を縁側の明るいところに持って行く。
そして、一斉に、菓子の紙箱の蓋や、あるいは新聞紙に広げ、
小豆に混ざっているごみや小さな石、
虫に食われて穴のあいた小豆粒を探すのである。

きれいに小さな穴があけられたり、ほとんど食い尽くされ
半分以下のおかしな形になっている小豆粒を探す。
小豆のように乾いた堅い豆を、もっと小さな虫がどんな歯で食べていくのか、
戸棚の奥で静かに食べている様子を思い描くと不思議な気がする。
そして、そんな小豆を見つけては取り除いて捨てる。

さて、それから、小豆は水で洗って、しばらく浸けておかれる。
乾いた豆はなんでも、料理の前には水につけておかなければならない。
だから明日、小豆を煮るときは前の晩から水に浸けていた。
大きな鍋に小豆を入れ、水から煮込む。
ぶくぶく灰汁が出てきたら、湯ごと笊にあけて、湯をすっかり捨ててしまう。
そして、また、一から水をいっぱいに入れて煮はじめる。
他の豆もそうだが、菜っ葉などに比べて、小豆を煮るのはとても時間がかかる。
芋や南瓜、筍、栗、唐黍なども、やたらに時間がかかる。
豆はこんなに小さいのにやっぱり時間がかかるのだった。
「あぶくたった、煮え立った、煮えたかどうだか、食べてみよ、
むしゃむしゃむしゃ」と遊ぶ時に歌う歌があるが、
あれは小豆を煮ているときの歌だ。

漉し餡

漉し餡、晒し餡とは殿様の餡子のこと也。
さて、やっと柔らかく煮えてきた小豆を指でつまむと、すっとつぶれる。
鍋を下ろして、ざあっと笊にあけ、小豆は擂鉢へ。
擂ってつぶされた小豆は、さらしで縫った袋に入れられ、
ぎゅうぎゅうもんで、どんどん漉して小豆の汁だけを取り出す。
これを何度も繰り返し、袋の中に残った粒粒の小豆滓は捨ててしまう。
さて、この袋に残ったほうが、子どもから見ると「小豆」本体に見える。
いつも、滓を捨ててしまうときには逆さまなような、もったいないような、
くらっとする感じを一体に味わうのだった。
大きくなって、作業の途中を任されるようになったときに、
間違えて、こちらの滓を取り置き、漉した餡のほうを捨ててしまったことがある。

漉して、水の底に残った澱を溜めに溜め、鍋で煮る。
と、これが不思議なことに、ちゃんと餡子らしきものになってゆく。
鍋をどんどん煮込んでいくと、水分は減り、
さらにどんどん、餡子らしさが増してゆく。
思い切った量の砂糖を加え、煮込んでいくと、餡は猛烈に熱くなる。
煮立った餡は餡地獄。
ぷしゅっ!ぷしゅっ!と音を立てながら鍋の中で破裂し、
熱い蒸気と飛沫を飛び散らかす。
鍋の中の小さな恐ろしい地獄だ。

おはぎ

餡子を煮ている間、もち米をふかし、
擂粉木でちょっとつぶして「半殺し」という状態にする。
物騒な呼び名だが、そう言うのだから仕方ない。
もち米は小さな俵型に丸めておく。
この大きさは各家庭や地方で、それぞれに決っているようだった。
呼び名によって「ぼたもち」を大きく、
「おはぎ」を小さめに作るところもあると聞く。
うちは下町の庶民家庭であったが、ハイカラで上品なものが
好きな祖母が作るので、小さめな「おはぎ」であった。
裏の農家の小母さんが作り、お裾分けで到来する「ぼたもち」は
子どもが食べると、あっという間に満腹になる、
でかい岩のようなものであった。
それはそれで、もちろん、おいしい。

おはぎを作るときは濡らした布巾を手のひらに広げ、
その上に、これぐらい、と目分量で餡子をとり、平べったく広げていく。
そして、丸めたもち米の俵を乗せ、布巾ごと、餡子をくるみつけるように包む。
綴じ部分から白いもち米がのぞかないように包み込めれば出来上がり。
形のでこぼこや餡子の厚みのむらを丁寧に押さえてならし、大皿に並べていった。
出来上がりはまず小皿で神棚へ、仏壇へ。
そして、両隣、お向いさん、裏の家へと子どもの私が、
お裾分けを運ぶのだった。

其の三十八
太田道灌

其の三十七
子 供

其の三十六
御小遣い

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