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その7 春休み

アサーティブネストレーニング講座は、こよみと連動して開催されます。特に行政関係では、殆どの講座が3月末に終了し、新年度は5月の連休明けからになります。
 そこで私にとっては、4月が一年で最も長いお休みになります。ところがいつも、何をした、ということもない内に慌しく日が過ぎて、気づくと講座の準備を始めてしまっています。

そこで今年は、こころして「何かお休みっぽいことをして過ごそう!」と決めていました。
 このひと月、私が楽しんだのは「ピアノ」でした。誰に聞いてもらうわけでも無く、曲を仕上げるのでも無く、ただ弾ける曲を繰り返し気の済むまで弾きました。忘れかけていた曲も次第に思い出し、指がもつれてイライラした箇所もだんだんスムーズになりました。次第に頭が空っぽになって、「音」をイメージし、「音」を追いかける時間になりました。そして嬉しくなって「私、ピアノが好きだ!」とワクワクしました。

と同時に、ある講座で話したことを思い出しました。
 「東京音楽療法士協会」という団体でアサーティブネストレーニングを依頼され、そこで私は自己紹介がてら「音楽と私」という話をしました。  小さい頃、教師に叩かれながらピアノを習ったこと、それは恐れに根ざした「調教」だったこと、練習に耐えられなかった自分を悪い子だと責めていたこと、人の期待に添えず罪悪感を抱えていたこと。それはわずか4、5才頃の心情で、それ以来自分への眼差しを、厳しく低くしたこと。
 そして、アサーティブネスを学ぶ中で、深く根ざした自責感や罪悪感に気づいたこと、その回復のプロセスではうちに抱えた怒りや怯えの正体を見極めてきたこと、「なんだ、そういうことだったんだ」と分かったら、自分も人も許せたこと。埋め込まれた心情をもう一度眺めることで、自分を大切に扱うきもちを取り戻したこと。アサーティブネスが「I'm OK」感を培ったこと。そしてその時、「いつか大嫌いなピアノを、もう一度心から楽しんで弾けるようになりたい」と言いました。

 講座でのそのひと言がアファメーションになって、無意識の中でずっと生き続けていたようです。そしてこの春休み、「わぁ、ピアノが楽しくなってきた!」と感じたとたんに、「そういえば・・」と自分の言ったことを思い出しました。
「いくつになっても筋肉は増やすことが出来る」と聞くことがありますが、「こころの筋肉」も同じかも知れません。アサーティブネスが「トレーニング」なのはそれゆえでしょう。
 トレーニングを続けるキーワードは「好き!」と「楽しい!」です。それからもう一つ、今私が弾けるのは、やはり小さい頃の訓練が功を奏しているのです。だから、私は心の深いところで「人の行為には絶対の間違いというものはない」「取り戻しの着かないことなんて無い」と密かに確信しました。「許し」が自分のちからを賦活するような気がしています。

その19
虹の向こう 山の彼方 飛ぶ鳥

その18
降る花

その17
春が来た 春が来た

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