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第101稿 莫迦と馬鹿

莫迦(梵語 mohaモーハの音写らしい・馬鹿は日本独自の当て字)

少し、時季外れの話。

 お盆は過ぎていたであったと思う、今から25年ほど前の事。臨済宗仏通寺派浜田徹道老師と後輩に当たる仏通寺派和尚と三人にて目的は忘れたが、愛媛県宇和島市から十キロほど奥「滑床」へ行った。
 宿は、今も営業されている「森の国ホテル」。日中まだまだ暑かったのか、暇をもてあましてか、三人で山中に散歩に出掛けた。暫く歩くと渓水岩肌を細長く窪ませびょうびょうと削り流れ、末にはこぢんまりと水だまり、浜田老師に「滑りますか」と二人裸になって禿げ二人でウォータースライダーにして遊んで居た。もう一人の若き和尚は「人が来たらどうするんですか」と参加しなかった。斯くして、山よりカップルが下りながら目をそらして宿屋の方へ・・・
 宿に帰った後、浜田老師「近頃、莫迦がいなくなった」と一言。

 世間一般で言うところの「バカ」とボンサンの言う「バカ」。・・・蛇足、関西・関東では「バカ」と「アホ」を180度意味は反対になる。それは、さておき

 ボンサンが口にする言葉は往々にして辞書の説明や意味と正反対を示す事がある。特別な表現では無く、誰しもが思春期になれば、好きな異性に対して「嫌い」と表現するようなものである。特に禅宗では「毒語」と表し、わざわざ回りくどい言い方する。「毒舌」では無い。悪口や辛辣な表現では無く、遠回しな褒め方と理解してもらえれば良い。

 しかし乍ら、喩え山中と言えども他人が来るやも知れぬ場所で素っ裸になって禿げ2人が水遊び。どう考えても「バカ」である。
 ・・・話は、変わり・・・ソノ昔、大阪市内旭区で住んでいた頃。家の傍に幅5メーター弱の「エノガワ」が有った。「エノガワ」は、大阪市内から門真市枚方市へ抜ける守口線の高架下に位置する。昭和30年中頃までは、流れる水は川底まで見え普通に魚もおよいでいた。炎天下、労働者のおじさん方はよく裸になって飛び込んでいたのを朧気に覚えている。道行く人も誰一人眉をひそめる事無く其の横を通りすぎていた。それから、数年の内東京オリンピックを境に「エノガワ」は「どぶ川」と呼ばれる様になった。水浴びする人も魚も見る事は二度と無かった。
 その後、家の向い「関西染工」に働く人が1メーターを超す「ウナギ」を釣ったのを見に行った事がある。それが、「エノガワ」で見た最後の生き物となった。・・・

 話を、戻し・・・暑ければ涼しさを求め、寒ければ暖を求める。至って当たり前の事ではあるが、今日社会は他人の行動や思考と感覚に価値観の違いを認める事無く眉をひそめる。確かに、裸になって水遊びする行動は本能的盲目的で有る。が、子どもは裸で水遊びをしても受容される。大人は社会の秩序を乱していると批判される。人と人が作り出したある意味狭い了見としての常識という規範から開放された行動や思考と感覚を否定する事を、所謂広い意味での常識と呼べるのであろうか。自己の居住している地域や組織の常識とは、狭い世界の既成概念の集積規則である。しかし、芸術は言うに及ばず、哲学・政治・科学・物理等々ありとあらゆるジャンルにおいて、既成概念からの脱却は新たな発展を生み出し新たな文化文明を生み出してきた。

 特にボンサンは、既成概念に囚われず物事を眺める目を忘れては成らない。物事は如法か如法で無いか。言い換えると、百年前も百年後も同じ答えに成れば「如法」と言う事になる。時代、政治に左右される思考は如法では無い。脳みそにため込んだ既成概念からでは無く普遍的に如法か如法で無いか。である。

 今年も暑い日が続いた。本堂裏山には墓地で使用するため、裏山から1000メーター程谷水をパイプで引っぱって来て水槽に貯めている。オーバーフローの水は、人目につかぬところで大人2人が寝っ転がれる位のビニール製のプールに夏の間だけ満々と注がれ続けられている。夕方になると、素っ裸の禿げ一人「行水」。
 先年亡くなられた浜田老師が居合わせれば、「バカ」と、言うか、素っ裸になるか・・・イヤハヤ、バカバカしい話。
大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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