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第100稿 キラキラ戒名(ネーム)・・・

 個々の、人生の問題では無い。
 何年前の事か「自分で作る戒名」と言う題の本が出ていたと記憶している。今は沢山出ている。それより随分時間が経ち「きらきらネーム」の登場となった。鬼籍に入って久しい「金さん・銀さん」の陰には「鶴さん・亀さん」と、必ずご近所やクラスメートに古来親しんできた名前は見受けられた。

 今までごく普通に見受けられていた名前の一文字を使う様にして多くの寺院では「戒名(法名)」を本人や家族の希望に応じてきた。今日コンビニや、スーパーに行くと必ず胸にネームプレートを付けている。が、私には読めない。どの様に読めば良いのかが解らない。当然、名付け親にはそれなりの意味理由や由緒来歴はある。と言っても、ストーカーになって興味津々と一々聞くわけにもいかない。悶々とする事でも無いので直に忘れてしまう。しかし、何時か読めない名前を前に「戒名」を必ず、迷い、苦しみ乍ら住職は考えなくてはならない時が来るはずである。その頃には「戒名」と言うより佛教自体無くなっているかもしれない。

 ネットで「きらきらネーム」を検索すると、世界に一つだけだろうと想われる名前が数多く並んでいる。日本だけでは無かった、彼方此方のお国の親御さんのある意味名前に対する真剣さが伝わってくる。

 仕事柄、彼方此方の墓地に出掛ける事がある。法要も終わり後は帰る段になるとグルグルと歩き回り墓石や霊標に刻まれた戒名を見学する。此方の立場から見ると、よく考えた戒名も有ればオイオイと言う戒名も当然見かける。いずれにしろ、生前の名前もその後の名前も住職に取っては真面目に考えた世界に一つだけの名前である事には間違いない。戒名は少なくとも生きている時間より遙かに長い時間残るわけであるから、心して取り扱うのが住職の礼儀というものである。

 そもそも、戒名を前提に子どもの名前を考える親はいない。いざとなれば、各お寺のご住職も名前の一文字にこだわる事無く戒名を考えれば良いだけの事である。それこそ、きらきら戒名を生み出せば良いので有る。どうしてもと言うならば自分で作っていただくのも一考か。
 何はともあれ、名は体を表す。子どもの名前も、故人の名前も簡単には付けられない。

 そう言う私の名前は「大門」これも、きらきらネームの分類に入るのかな?親の付けた名前をそのまま僧名にしています。ちなみに、私は在家出身でお寺の子どもでは無い。
「無学大門」之が私の僧名。

 蛇足 昔、結婚するなら名字が「大門」と言う所へ婿養子に行けば「大門大門」と言う名前になるなと、妄想した事もあった。後百年もすれば「キラキラ名字」の変更を、家庭裁判所も許可してくれるかもしれない。手っ取り早いのが「ペンネーム」かな。因みに「鴟?獅子(みみずくらいおん)」と言うペンネームを使っていた事があった。やっぱりキラキラネーム。
大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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