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第97稿 人生脇道途中下車 
-補助教材のニュースから想うこと-

 高尚な話は無理。野僧の住むところは、過疎一歩か二歩手前当たり。30分奥へ行けば限界集落どころか消滅集落と古老は笑いながら話してくれる。確かに、此処に住みだした時は随分奥に五件の集落が有った、今は誰一人住む事も無い。先般奥へ行くバスも廃止となった。駅長さん一人の駅も無人となって久しい。学生さんがいなければ駅自体閉鎖されるかもしれない。

 何かにつけ便利と不便と言う言葉は時代の流れに従い生活様式や社会の姿を町の姿を変化させていく。過疎の進む地方も人口密集する都市も同じである。日本に限らず世界中、道一本、大手複合型スーパー出現で100年200年続いた賑わいは嘘のようにかき消えていく。地方特に山間部となると、赤字路線の一言で移動手段を失う。老いと共に腰が曲がり、ランドセルを背負った子どもを見掛ける事も無くなる。誰しもが賑わいが無くなれば寂しいと感じる。

 先日母方の里へ行ってきた。遙か50年ほど前は、緩やかにクネクネと曲がる道を挟んで向かい合う家々の間を国鉄バスに揺られた。今は、傍をまっすぐに伸びた道が整備されている。日本中何処も同じ様に幹線道路として整備されているので有ろう、確かにまっすぐの道は便利で走りやすい。いつもの事、旧道にハンドルを切った。
 早朝五時外気温−2度、犬もまだ小屋の中で寝ているので有ろう。500メーターも走ったか、動くものは何一なかった。暫くして旧道は新しい道へと繋がる。ふと見れば、コンビニが有った。休憩がてらに道を少し戻ることにした。コーヒーを飲みながらボンヤリと見ていると、総ての車はまっすぐの道を走って行く。余程のことが無い限り決して、旧道を走ることはないだろう。

 仕事の都合で、彼方此方遠方へ行くことが多い。移動の関係上どうしても車を運転する。帰りの電車が無いのである。地方に住む人間としてはその辺の選択の余地が無い、イカシカタナイ現実である。唯、現地に近づくと真っ直ぐには走らず不思議と脇道にそれてしまう。近隣を走る時もたまに脇道にそれる。まず間違いなく狭い道へと迷い込む。行き止まり、曲がれないは当たり前それが面白いのである。
 なぜか、渋滞を避けての脇道に入ることはしない。慌てることに性が合わないのであろう。と言うより、他人に合わせて何かを進めることが出来無い。余程のことが無ければ協調性を求められる行動はしない。つまり、集団行動能力欠如、間違ってもネクタイは締められない。世間で言えば「我儘、臍曲、天邪鬼」これでよくもマー、寺から放り出されないものだ。

 脇道には、忘れた景色が残っている。以前通い慣れた道に戻ると色々な記憶がよみがえる。新しい道から見れば、随分遠回り時間も掛かる。季候が良ければ、途中下車。コンテナ輸送では無い、遊び心の薄い同乗者に取ってみれば迷惑なヤローで有ろう。

 同じ景色ばかり見ていると、一つの事しか学べない。脇道に入れば、少し違う景色を見られる。知らぬ脇道に入れば、新しい景色が広がる。思い起こせば亡くなった奥方様は、その点此方より上を行っていた。脇道、途中下車どころでは無い、何処を走っているかも判らぬ迷子徘徊運転。
 で、後日アヤフヤナ記憶を頼りに「右や左や、此処違う」と、此方が運転する羽目となる。目的地は、喫茶店・ケーキ屋さん・食堂・ET CETERA。目的地の判らない目的地を目指すのも今では思い出の一つである。

 宗教も、学問も、政治の世界も総て同じはずである。了見の狭い固まった知識見識は間違いと争いを生み出す。覧る向きを変え、知らぬ世界に途中下車しながら生きていくのも面白いと感じる。
 教育はもっと危うい、一つの事だけが正しいと教えられ、それ以外を見ようとしない思考は整備され便利なだけの道を走る車のようである。まして、教壇に立つ人間こそ広い見識知識を持たねば成らない。
 小・中学時代に、火炎瓶を投げ安保反対と叫んだ学生運動の青春を捨てられなかった「デモシカ先生」による思想教育のおかげか、国歌斉唱、国旗掲揚の言葉に未だに嫌悪感を持ち合わせる。そんな感覚、狭い了見は私だけであろうか?

 便利な道になって脇道に入らず、途中下車もしない。
 心の余裕は、便利から生まれるのか。
 私は、不便から生み出す心の余裕を忘れかけている社会に危険なモドカシサを感じる。

「人間の求める普遍的幸福」 とは、何を言うのであろう。

大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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