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第96稿 無忤爲宗(さからうこと無きを宗とせよ)

 聖徳太子作とされている十七条憲法の第一条「以和爲貴、無忤爲宗・・・」
大変有名な文章の冒頭です。
 昨今の日本ならず、世界の国々・民族・宗教・政治の世界でお互いに反目することを有史以来反省すること無く、終わることも無く続いている。確かに意見が合わなければ喧嘩もするであろうがお互いに未熟者と自覚すれば良いだけで有る。

 「以和爲貴、無忤爲宗に続いて「人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。」

 個人的な訳をつけると、人々は皆集団になって生活するが、思慮深い指導者は中々生まれてこない。思慮深く人の上に立つ者が居なければ一人一人は自分に都合の良い様に行動をし、一人一人が他人を押さえ込み、好き放題に振る舞う。そうなれば、相対する者と罵りあい諍うことになる。しかし、お互いに膝を合わせ認め合えば、諍う事も無くなり、物事はお互いに納得した答えが生まれてくる。

少し歴史のお勉強
 昔々、(1)蘇我馬子と(2)聖徳太子は争い事が起こらない様に国を治めていました。蘇我馬子・聖徳太子が亡くなると、父祖父に当たる蘇我馬子の想いと裏腹に(3)蘇我蝦夷・(4)入鹿の親子は好き勝手に国を治め独裁政権を作り上げます。
蘇我親子は次期天皇に成る(5)山背大兄王を自殺においこみ(6)舒明天皇を即位させます。そこに現われるのが(7)中大兄皇子と(8)中臣鎌足。プラス、(9)反蘇我勢力の貴族と豪族。彼らは蘇我親子を倒します。斯くして、蘇我氏の栄華は終焉を迎えます。

お遊び
(1)から(9)に、色々な人名、国名、組織名称に入れ替えて読みませう。

つまり、「乙巳の変に始まり」
其の後の「大化の改新」に続いていく日本の歴史の一コマ。

 昨今の、国会中継、内外の出来事やその他多くのメディアに流れる情報を聞いたり眺めたりすると、(1)から(9)の流れは日本史を1300年遡っても人間は全く精神的に成長もせず、反省から発展していく事すら出来無い生き物と見えてくる。

 だからこそ、今一度「以和爲貴、無忤爲宗・・・」と発令した意味は何であったのか。発令した聖徳太子も蘇我の血縁。古今色々な研究書が書かれているが、「以和爲貴、無忤爲宗・・・」を考え直し見直そうと言う情報には中々出会えない。

大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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