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第82稿
混沌<<<とした、明日へ続く記憶>>>

 朝食は何を食べたか、昨日は?と言う話では無い。
 確かに、考えても出てこない日もある。
 では皆様、問題

1.母親の作った最後の料理は?
2.父親と最後に食べた最後の食事は?
3.連れ合いと一緒に食べた最後のご飯は?
4.子どもと最後に食べたメニューは?
5.家族全員で最後に食べたご馳走は?

 野僧1.2.4は覚えている。3.5はいくら記憶をたどっても判然としないし、混沌とした記憶だけ渦巻く。
 亡くなった連れ合いも多くの人と同じく病院で息を引き取った。其れは、今日では珍しくも無く、特別なことでも無い。体調の落ち着いている期間は退院し、悪化する前に再入院と言うパターンを繰り返していた。
 亡くなる前年、一番下の娘の誕生日に合わせ体調を整え数日間戻ってきた。夕刻、何を作って何を食べたか、ケーキが有ったのか無かったのか其れすら記憶に無い。ハッキリしているのは、その夜WTCに飛行機が突っ込んだことである。ライブニュースを一緒に見ていた。二機目の映像の後子ども3人は寝た。珍しく遅くまで起きていた彼女は、二つの崩壊を見て暫くして彼女は眠りについた。
 何を一緒に食べたのか、混沌としないだけ気楽である。思い出す事無くこのまま、何れ私も姿を消す。只其れは、家族五人そろっての最後の食事では無い。
 後は、混沌とした明日へ続く記憶。

番外
 小生が小学校三年生と勝手に記憶している。母方の私から見て祖母がどうも危ないと言うことで、母の里へ一緒に帰った。
 おばさんが聞く「何か食べたいもの有りますか」答えて「カレーライス」。
 ちなみに、その日まで一度たりとも祖母はカレーライスを作りも食べもしなかった。今から思えばおばさんも予定の無い料理を作るのは大変で有ったと思う。
 暫くして出来上がったカレーライスを一口食べて「おいしいな。是ならもっと食べとけば良かった」その後数日経たず息を引き取った。其れが最後の言葉で有った。45年程前の事であるが、未だに薄れること無く判然とした記憶である。そのバァーチャンの「カレーライスは食べ物では無い。見るに汚らしい」と言う台詞も新鮮に残っている。

尚上記の問題
1.は 赤飯・鮭。卵焼き・ほうれん草のおひたし の弁当
2.は カツ丼・うどん
4.パラパラ飯 (と、カミサマは仰っていた)

 説明 錦糸卵(少し甘め)・もみ海苔(味付けのり)・紅ショウガ(刻み)を白飯にまぶす。子どもにとっては「お袋の味」かもしれない。簡単手間いらず、皆様一度お試しあれ。

 サテ、明日の朝は何を食べたか。
 「お粥and梅干or漬け物」
 I am the same every day。

大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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