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第70稿 蜘蛛 (アシダカグモ)

 毎年この時期になると、夕刻から姿をしょっちゅう見かける。東北・北海道には繁殖していないそうである。小さい時、大阪市内に住んでいた。その頃もよく見かけた記憶がある。とにかく大きくて、気色悪かったと覚えている。唯、殺すということはしていない。

 足を広げると10センチはある「蜘蛛」である。なぜか、ウルトラQで見たアホほど大きな蜘蛛と記憶が交錯する。テレビに映る蜘蛛は、立派な巣の中に鎮座していた。ラストは池の中?に浮かぶ?研究所?の火事によって焼け死ぬ。

 このアシダカグモは巣を持たない。食物を探してウロウロするのである。アブ、ゴキブリを捕食してくれるので自由に部屋の中を巡回してもらっている。是も実は外来種と教えてもらった。
 明治初年に、輸入されて来た果物などに紛れ込んできたので「バナナグモ」と呼ばれたときも有ったそうである。が、私はその名前を一度たりとも聞いたことがない。それよりも古く、江戸時代にゴキブリ退治用に輸入したという説も有るそうであるが「ゴキブリ蜘蛛」とは呼ばれなかったと言うことは、此方の説は眉唾であろう。



 で、この蜘蛛は写真を見ての通り百円硬貨大の卵嚢を孵化するまで口に咥えて生活する。故に、その間は絶食。孵化した子蜘蛛に十日程親蜘蛛は付きそう。その後子蜘蛛は糸を垂れ天井から、机の上を、障子の端、辺り構わず親と変わらず移動し静止する。一つの卵嚢から百匹ぐらい放たれる。是が、親が三匹五匹となると部屋の掃除もしにくくなる。盆頃には、子蜘蛛も見かける数がめっきり減ってしまう。ほとんどはヤモリの胃袋を通過していくのであろう。

 いつもは気にも掛けず、丸めた新聞、スリッパ、ハエたたきの攻撃対象になっている嫌われる生き物にも、私たちと同じく置き換えることのできない「いのち」を持ち合わせている事に目を向ける事は難しいことであるのだろうか。七月盆、八月盆の地域様々である。 願わくば、暑い寒い、好きだ嫌いだ、損した儲かったと言いながらも今ここに生きていることに目を覚まし「一寸の虫にも、一寸のいのち」と、せめてこの短かい盆の期間を過ごせぬものか。多くの寺院の中には寺院経営をあからさまに世間様に憚る事無く収入源のお題目としてこの時を逃してならぬとと言う所もある。本来の趣旨から離れるならばDrink feces。出家も在家も、なぜか慌た だしい想いを持ちながらも、お盆・初盆のお施餓鬼法要が始まる。

 さて、自坊と言えば。現在、本堂は建て直しの為解体して礎石も何も無い。
 昔ながらに河原でお施餓鬼の法要するか、ヤレヤレ・・・
ダイモン 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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