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第67稿 夢

 「I Have a Dream.」Dr.Martin Luther King Jr.が1963.8.28.『ワシントン大行進』の際のスピーチで特に有名な言葉である。前半はさておき、演説後半部分の中で「I Have a Dream.」と7度繰り返して いる。亦、「Dream.」と言う単語だけで見ていけば11回。キング牧師がどの様な人物であって、其の人生哲学がどの様なモノであるか知る人は日本では少ない。如かし乍ら「I Have a Dream.」と声高らかに演説し ている影像を見たことは1度や2度では無い。
 「I Have a Dream.」「私には夢がある」と誰が訳しても同じ表現であるのは、些か疑問を個人的に持ち合わせている。最後の結びは"Free at last! Free at last! Thank God Almighty, we are free at last!" 般若心経の終わり部分「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」 と同じ訳をすれば良いと考えている。

 仏教しかり、キリスト教、イスラム教、多くの宗教的な物の見方、哲学に日本語の「夢」と言う言葉を使うであろうか。まして、歴史の一コマに残る宗教家が夢話を大衆にするはずは無い。

 「I Have a Dream.」「私には願いがある」と私は訳をつける。

最後の結び  
  "Free at last! Free at last! Thank God Almighty, we are free at last!"
「私たちを、束縛する物は無い。森羅万象に感謝いたします。(精神的肉体的そして、分別する総ての記憶から)私たちは元々自由であったことを」
些かどころか、だいぶ飛躍した訳では有るが、「Free at last」を「私の願い」とすれば、キング牧師の宗教的世界を感じることが出来るのでは無いでしょうか。

 で、本題 「 夢 」
 夢のある話。夢見る人生。夢うつつ。と夢と言う単語の入った慣用句などどちらかと言えば、現実から離れた空想の世界を表している。
 先日郵便局での話。
 振込に行った窓口で、某檀家さんのおばちゃんが一生懸命年賀状の印刷カタログを見ていた。此方に向かって「和さん、この「夢」のデザインええかな」返事は「止めとき、夢という文字を使うのはお悔やみの時や」話はそれだけ。

 「人生至る所、青山」と同じで「夢」も時所を間違って使用されている。青山とはお墓のこと。何時何処で死ぬやら・・・。寺院では和尚が遷化すると「夢」一文字の軸を床の間に・・・。
 かくして、正月早々「死」を意味する挨拶状を多くの人が出し、受け取る。一休さんじあ在るまいし、錫杖に髑髏掲げて「ご用心なされ」では無いことはたしかである。
 努々(ゆめゆめ)使わない方が無難な夢(ゆめ)。
 正月にどうしても馴染めない和尚より 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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