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第63稿 梅干の思い出

 お寺には1本の梅の木も無い、収穫はお寺の周りで今最盛期です。梅にも色々と種類が有り、収穫の時期も微妙にずれている。青梅の出荷だけの人、加工もする人、製品化もする人。様々であります

 此方、和歌山に住みだし18年になる。それまでは「梅干し」=「貧乏」と言う方程式が頭の中に鎮座していた。
 幼少時の記憶・・・近所の路地を入ると夏でも不思議に冷やっとする空気を覚えている。幅にして半間ほどの路地。年がら年中、少し湿気たような色の地面。そこには、一面おびただしい量の梅干しの「種」が不規則に転がっていた。路地の中頃に入り口が有り、そこにはおばあさんが一人で暮らしていた。封筒の糊付けの内職をしていた事も鮮明に覚えている。そのおばあさんの食事は何時もご飯と梅干し。他のものも食べていたとは思うが何時もご飯と梅干し。
 親も言っていた、近所のオッチャンやオバチャンも言っていた。「貧乏」という言葉。どういった意味での貧乏か今となっては知る由も無い。「貧乏は梅干し」「梅干しは貧乏」と言う方程式をその頃にすり込まれた。
 それが、此方に来てその反対の方程式が成り立っていた。毎日気楽に梅干しを口に出来ない。

 お日様が出て明るくなり出した頃には「梅もぎ」が始まる。傷はもちろん、虫食いの跡一つで価格は下がる。傷一つ無い虫の跡一つ無い「青梅」。
 何時も言う、農協も悪いが、消費者もアホや。それなら、製品にして売る方が賢い。が、売り物にするには大変な苦労と時間そして経費が掛かる。売れるか売れないか心配も膨らむ。そうすると、青梅の出荷だけの方が安心か。傍で見ていると製品になるまで、手間暇を掛けている。あれだけ手間が掛かれば価格が高くも成るのも当たり前。

 此方に来た時、彼方此方に挨拶兼ねて地元の梅干しを送った。あるお寺から電話で注文を言づてられた。金額を伝えようとしたら「かまへん」と言うのでお店から、まとまった数を送って貰った。数日後電話の向こうでは「門サン、こんな高いんか」と呻っていた。
 その和尚さんも私同様「梅干し」=「貧乏」と言う世界の人であった。

 「金持ち=梅干し=貧乏」と言う方程式

 因みに、梅干し10個程入って10万円と言うモノもある。誰が買うのか売れていく。世の中おかしい。

だいもん 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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