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第61稿 アホ なのか バカ なのか

 愛嬌が有り憎めないと言う表現、関西圏は「アホ」関東圏は「バカ」。対象を批判し侮る表現はそっくり入れ替わる。方言ではなく、表現方法の違いが僅か500離れるだけで気をつけないと喧嘩に発展する。
 と言う事で、下記内容ご都合の良い「アホ」「バカ」に置き換え願います。

 私たちの生活の中では、肩書き、経験、技術などを人生の勲章として自慢する方は少なくない。嫌みで無く結構な事で、それなりにご苦労された社会的地位と言う事になる。当然、時間という経過の中で積み重ね繰り返しの連続によって、人間は何かを生産や開発を行い文明を築き文化を拡げてきた。誠に有り難い話で、社会に役立つ物も何も作り出せない、先達のおこぼれを目当てに生きている私などは唯々美味しいところをついばむ生活を送らせて頂いている。当人にとっての、精神的肉体的負担は愚僧代表の私には想像の及ばぬ所。

 その様な事で「ストレス」と言う言葉が生活の中に無い、今は無い。神経性ホニャララと言うような病名をDR.から二度三度と以前カルテに書き込まれてしまった。爾来1日を30時間欲しい生活リズムの時は当然日常の活動は破綻を来す。寺という所は何時人が訪れるや判らない、急に会合が持ち上がる。障子の破れ、草刈り、草むしり、便所掃除から境内の掃除、本堂、書院、庫裡、参道、石垣の草、墓地の供華片付け。会計、事務、その他色々。今は障子が少し破れていても、雑草が生えてきてもさほど気にならない。
 元々出鱈目な人間、持ち合わせている以上の能力を発揮できるはずは無い。それを賄うとなると1日30時間必要となる。医者に薦められた「薬」の効果は知らない、院外処方箋は頂くが処方箋が現物に変換した記憶は少ない。本当の処方箋は自身が一番理解している。つまり、薬は要らない、唯「アホ」に成れば良いだけである。しかし中々、アホにはなりきれない。アホになれないから胃が痛むのである。

 草は、はえる物である。障子は、破れる物である。部屋には、ゴミが溜まるのである。と、素直に受け入れれば気楽なモノである。166坪(450)分の建物、800坪(2600)分の境内を常に維持管理する事は、不可能と言う事に胃に穴が開く手前で気がついた。

 道場では「アホになれ、アホになれ」とよく言われた。「我」を無くせと言う事であるが、生まれ落ちてから身に滲みついた意識は中々削れる物では無い。我(ええ格好しぃ)がそれを邪魔する。それも又当たり前の事ではあるが、「我(意識)」自身が「我(生身)」自身の首を絞める事になっている。

 考えてみれば、けったいな話で自分自身で首を絞めて苦しいと言っている。他人から見れば「バカ」な格好に違いない。

道場のアホ 一幕
 屋根瓦の隙間にどうしても草がはえる事がある。ほっとく訳にはいかないので、屋根に登る事に成る。山に登ってよく遊んで居たので、ロープの結び方は多く知っている。ある日、草取りに一人の雲水を登らせた。本人曰く「高いところは怖いので・・・」「安心しなさい、命綱腰に結んで・・・」と言うやりとりの後、彼は恐る恐るハシゴを登っていった。暫くして彼は屋根上で叫んだ「何で、下でロープ持っとるんですか???」「早う、草抜け。ロープ引っ張るぞ−−−」。更に、アホが居た。「ほんまや、下でロープ持っている」。

 アホなのか、バカなのか。若かった彼らも、今は老年に近づき大和尚さんになって「お釈迦様は、・・・」と檀家さんの前で唾を飛ばしているのだろう。
 因みに、屋根に登った雲水さん、国立大学理学部卒です。訳の解らない数式をスラスラ解いていました。アホなのかバカなのか私には判らない。

 畳まずに山になった洗濯物、全く気になりません。皆様はどうですか。
主夫 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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