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第59稿 居ないと困る寺の嫁

 全く知らない人との食事は些か面倒な感がある。まして、他人の家に住み込みとなると何から何まで不自由な想いと、義理にも思えるお手伝いに体を動かし返答もしなくてはならない。どちらか言えば、ご遠慮したいモノである。

 明治になるまで、僧侶は妻帯を禁じられていた。明治以降解禁となるが政治的傀儡政策か、自由民権運動の走りか知るところではない。この年齢に成り寺院に居を定める者として妻帯はしない方が正しいと理解している。確かに自身結婚し子供三人と言う矛盾した現実もある、爾来再婚を進める親切な想いを断るのも最近は減ってきた。再婚しないのではなく、する気が全くないのである。そこには、亡くなった連れ合いにどうのこうのという感情は無い。

 今日妻帯が不思議で無い時代、生涯独身で過ごす和尚さんはたくさん居ている。理由は様々であろう、詮索する程興味は無い。そういった寺院には必ず小僧さんつまりお弟子さんが何人か住職と同じ屋根の下に妻帯しない時代と変わりない共同生活がある。家族の存在する空間に繰り広げる修行ごっこでは無く、縮小若しくは簡素化された修行の生活が少なくともそこにはある。和尚が出かけ、兄弟子が出かけると誰かが手足を広げられる空間と時間、そして留守番という責任が与えられる。和尚も兄弟子もそこはあうんの呼吸、過ごしてきた道である。締めてみたり、拡げてみたり。緊張と解放。そういった生活時間は家族生活の中には生み出せない。有ったとしても、遊びになってしまう。

 私は在家から出家した、道場に入る前一時小僧生活のような時間を送っている。道場をでてから、暫し縁を頂いたお寺で小僧生活をしていた。幼少から長らく小僧生活をしてきた訳では無い、合計しても1年に満たない。

 しかし、他人の飯を頂くというのは大変貴重な経験になる。他人様の生活空間に入り込み、家族団らんの時間に入り込む。受け入れてくださる相手方のご気性を感謝するしか無い。にこやかに繰り広げられる夫婦げんかの最中、テレビも消せず席も外せず、異常な気配の中に身を置きその場を逃げることも出来ずハラハラドキドキ過ごすのは、サスペンスドラマの比では無い。和尚に家族が居る場合ホームステイの雰囲気は奥さんにとってよい方には動かない。その反対、他人様居ようが居まいが関係なく行動出来る和尚夫婦の場合小僧生活に近い感覚で居られる。

 子供二人大学には通える距離では無いので、知り合いのお寺に下宿させて頂いている。厄介を掛けているお寺は後者であろう。そのお寺は古くから学生を下宿させている、奥さんも色々と大変な事であろう。おかげで此方は色々とどころか本当に安心して預けられる。上の子が今回大学の卒業でそのお寺から引くことになった。更に、一人暮らしをすると言うことで一人減った。先頃まで三人居たが、3月からは下の子一人だけに成る。ますます「他人の飯」の味を覚えることになる。

 他人の飯を頂くと言うことは、時間は掛かるが人間を成長させる。食べさせ方を間違うとけつの穴から普通にクソと出る。脳味噌を鍛える事も大事であるが、他人の飯を頂く教育を忘れてはいけない。

 お寺に腰をおろす生活を省みると、嫁子供は邪魔になる。現実には嫁さんは小僧さんの仕事を受け持ち、子供は自身の意図に関係なくお寺を継ぐ者として世間から見られている。妻帯を否定はしない、肯定もしない。その図式は既成の事実として寺院の後継者問題を支えている。

 修行生活は道場だけの物で無く、修行道場のような厳格な規則で無くとも皆さんの近所にある寺院はその前後する延長線上にある。妻帯は前後する延長線を取り払い、様々な場面において住職としての考え方捉え方を狂わす媚薬となった。妻帯の解禁を命令し、待ち望み、受け入れた時代の指導者は大きな間違いを犯している。

 居に後に嫁は来るけど、死に後には来ない。古人は上手いこと言う。

 居ないので何かと困る、我が寺の嫁。矛盾する現実と実態。

ダイモン 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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