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第57稿 暮れの裸足

 十二月も半ば久しぶりに大阪市内に足を運んだ、個人の用事でもなく寺の用事でもない。娘の付き合いである。昔の表現で「ミツグクン」と「アッシークン」である。

 和歌山県内高速道路の南進は徐々にであるが、身近な所で工事を見かけるように成ってきて来た。ここ数年、北上するも南下するも以前に比べて時間短縮は格段に進んでいる。おかげで日帰りもそう疲れを感じない。電車で行けば行きも帰りも寝ていられる、が少し遅れるとその日に帰ることが出来ない。京都駅18時33分、天王寺19時22分が時間制限となり、諸般の事情を考慮すると必然と自動車に頼るしかないのである。 娘の買い物の後を財布片手にウロウロ、ベンチや椅子が有れば支払い待機。待ち合わせをして単独行動と様々である。大概待たされるので色々と観察と言うわけではないが、何かしながら時間を過ごす。

 今回は、行き交う人の足元と襟元をずっと見ていた。未だに私は裸足で過ごしている、悲しいかな「靴」というモノを現在所有していない。亦、靴下も同様である。靴に変わるモノは「地下足袋」「長靴」「作業ブーツ(指先を鉄板で保護しているモノ)2種類」中は靴下ではなく、使い古した「足袋」。

 足元を見ていた話、誰一人として「裸足」はいなかった。日時12月中旬午後1時30分より2時15分、場所梅田某百貨店二階。以前8月の時はたくさんの裸足が行き交っていた。確かに冬である、裸足でウロウロしている方が可笑しいのであろう。如かしながら、思い返せば既に27年間裸足の生活。メンテナンスすること無く今のところ問題は無い。

 襟元であるが、靴も持たず冬も裸足のくせにマフラーは持っている。使用している記憶はないが持っている。たまにボンサンの衣装で過ごす時はマフラーとは言わず「護襟(ごきん)」と言う幅1尺ほど、伸ばして1尺半ほど輪っかに成っていて一部に半分切り込みが入っているモノを衣の下、着物の上に使用する。冬場でも使用する期間やその他色々と決まり事が本を見ると書いてある。冬場にボンサンの姿を見れば使用スタイルは違えど大概使用している。絹製であるので薄くても暖かい。

 振り返ると、冬の間も裸足。ゴソゴソしている時は長靴か地下足、タオルがマフラー。スタイリストはどの様にアレンジして手をつけるか・・・年も暮れに近づいた街中、彼方此方から音が響き足早に人が歩いて行く。ウツラウツラしていると娘に突っつかれて現実に引き戻される。

 その日私の買った物と言えばコンビニでコーヒー一缶な。ミツグクンは娘の買ってきた物には何も興味が沸いてこない。

 この時期に成るとよく言われる。「足寒むうおまへんか」と必ず「お顔寒むう御座いませんか」とどなたにも答えている。何故かそれ以上の会話には発展しない。
我慢大会をしている訳ではない、動いていれば温かい。

佛歴2554年新春のお祝い申し上げます。
大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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