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第50稿 お盆

お盆
 お盆、地域によっては7月。多くは8月、先祖の霊を迎え送る行事、初盆を迎えるお家では色々と飾り物も増え賑やかな様相を見かける。
 お盆または精霊会とも言う。お盆は盂蘭盆の略語、梵語のウランバナの音写で逆さづりの苦しみつまり地獄の苦しみを意味する。釈尊の弟子、目連尊者は母が死後餓鬼道に墜ちて苦しんでいるのを知る。夏の修行を終えた(7月15日)大勢の僧に飲食を施し、彼らの力を借り供養しなさいと釈尊に教えられ始まった。供養したことによって目連尊者の母は、極楽に転生したことを知り跳び上がって喜んだ。それが、盆踊りの始まりと言われている。それは、平安時代「空也上人」の「踊躍(ゆうやく)念仏」、鎌倉時代「一遍上人」の「念仏踊り」とつながり観光として有名な徳島「阿波踊り」広島「やっさ踊り」と全国的に広がっていく。

 そのお盆に各お寺では「施餓鬼」と言う法要を行う。同じく釈尊の弟子「阿難(アーナンダ)」は餓鬼に短命と宣告されるが「餓鬼に食物を施せばすくわれる」と言われ食物を施すと命が延びたと言う伝説から始まった。
 別々の物語は同時進行するようになり、盂蘭盆の施餓鬼に落ち着く。

話変わり
 真珠湾攻撃は12月8日、終戦8月15、政治的歴史的話は横に置き。奇しくも釈尊がお悟りを開いた日は12月8日。お盆は8月15日。意図して日付を選んだとは思えない。
 偶々その日付になったのか。8月15日正午にサイレントともに「黙祷」、各人様々であるが大いなる反省の時間と理解している。
 お盆は盂蘭盆の略語、梵語のウランバナの音写で逆さづりの苦しみつまり地獄の苦しみを意味する。あの時、と過去を振り返り深く慚愧するが後戻りできない、今から償うことも出来ない。と自身苦しむ姿を逆さづりの苦しみと表し。自己の作り出した行為を自分で振り返えり反省していくのが施餓鬼。只、亡くなった人たちだけに開かれた行為でなく、今広く生きている私たち一人一人に課せられた宿題のように捉えれば亦捉え方も変わって行くであろう。

政府公報 厚生労働省 8月15日朝刊各紙
 『本日は、戦没者を追悼し 平和を祈念する日です・・・略・・・正午から1分間の黙とうをお願いいたします』果たして「お願い」したり、されたりするのが黙とうであろうか。町内放送に至っては黙とう終わり「ご協力ありがとうございました」。言葉尻をほじくる気はないが、「協力」の言葉を使うことがおかしい。「黙とう」「黙とう終わり」で良いではないか。確かに、戦没者を追悼し平和を祈念する日ではあるが、広報に反省の文字はない。

あきらさん風に
蝉黙り 慚愧黙祷 地を睨む

ダイモン 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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