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第31稿 最近の楽しみ

 石積みである。
 一日に生まれる余白は地下足袋を履いている。余白と言えばお大尽のような生活に聞こえるが、一週間に6日から7日間間違いなく午後は空けているのではなく空いている。気楽と言えば気楽。俗に言う法要事は無し。都会と違い月ごとのお参りは無い。
 午前は其れこそ週に1から多くて3ないし4の法事。寺院護持運営責任者としては収入の貧困という危機は不思議と感じない。
 是という道楽を持た無い点で有ろうか経済的な緊迫感を感じることはない。坊さん特有の世間や経済の事に無頓着無関心であろうか、私だけの話であるのか。それにしても夜逃げも考えずに毎日過ごせる事は有り難いことである。
 亦、時間に追われる生活でもない。いたってマイライフを堪能している。と言えば、世間からは「そうだろうね」と揶揄される。如かしながら、其れなりにお寺ライフも頭の痛いことは多い。大なり小なり生きて行くには悩みはつきない。

 そこで、脳味噌を使わずに石積みになる。材料の石は不思議と集まる、買うという事は無い。
 今までに大きな物では4t近く有った。以前はチェーンブロック現在は寄贈のドラグショベル(一般にはユンボ)。実際に利用すると機械の偉大な効力を実感する。
 ユンボやブルドーザー、操作には車両系建設機械の講習修了証が必要となるが、作業は公道では無いため資格を持っていなくても操作している事は・・・・。が、何かあった時ややこしい問題となる。
 何でも機会が有れば欲を出すに限る、資格は大いに役立つ。ブルドーザー・モータグレーダ・トラクタショベル・ずり積機・スクレーパ・スクレープドーザ・パワーショベル・ドラグショベル・ドラグライン・クラムシェル・バケット掘削機・トレンチャ各建設機械の機体重量に関係なく操作は出来る。問題は運転席に座ったことも無い重機の方が多いことである。続きで言うと大型免許は有る。何時か牽引と大型特殊出来れば大型2種そしてクレーンとフォークリフトを狙っている。但し、お寺ライフとは何の関係も無い。興味だけの話。

 そうであった、石積みの話。
 石積みを初めて10年は超えた。計ったことは無いが大凡長さにして30メーター強。蚊や蚋、等余り飛ばなくなる頃から再びお目に掛かるまでの期間。材料の石が溜まった時だけが作業時期となる。故に日数のみ長々としている。
 色々とバイトしたが石積みの経験は無い。見よう見まねでド素人の作業。上手く積むコツも何もない、子供の積み木遊びの方が上手。それでも今の所崩れたりはしていないのが気休め。
 他人はどうか知らないが、どうも私は何事においても考えながら物事を進めるのには少々苦手である。何も考えずに動いている方が楽である。法要にしろ、掃除、洗濯・・・考えて答えの出る作業は世の中に無いのでは無かろうか。学問にしろ結局は実験という現実の答えを最後に見なければ、理論上の思考に他ならない。
 私達は多くの場合、黴る事もなく食べられる事もない実態のない思考に振り回されている。考えれば考えるほど無駄な事になる。斯くして、脳味噌を使う仕事には興味も縁もなく、寺の裏山で脳味噌を休めるだけ休めて筋力トレーニングに精を出している。
 先日より積み出した石は約20t程になるか、其れもほぼ終わってしまった。グリ石も無くなり埋め立ての土砂も底をついた。亦、材料集めの問題を抱え乍ら、脳味噌の冬眠宜しく貯め込んだ木材にて鍋の季節に向かって移動可能な囲炉裏の制作に取りかかるかな。今までも幾つか完成すると使うことなく知り合いの家に行ってしまう。私の手元に残っていくのは、各種様々な道具だけである。
 石積みの前は、兼務寺の木を切っていた。色々と楽しめる仕事があるので午後は脳味噌を動かさず、世間様に顔も出さず、身体だけを動かしている。
だいもん

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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