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第12稿 近況

人に読まれる。読まれない。関係なく勝手なことを書き連ねての1年……
爾来如何(その後どうされていますか)であるので、近況を。

亭主元気で留守が良い。と言われても、世の亭主連反論することも出来ず平和な家庭。その通りです。
 我が方においては、「子供元気で日中居ない方がよい」となります。

7月20日を前後に小中高では夏休みに入ります。つまり、下手をすれば一日中家の中に私以外が存在する。
 存在するだけならば結構であるが、なぜ昼ご飯を要求するのか。一人なら、漬け物とご飯だけで済ませるところ、「腹減った」贅沢じゃ。勝手に食べろ。まして、クラブ帰りで余計に腹が減る。
 尚かつ洗濯物を頼みもせんのに増やしてくれる。
 尚かつ、おままんま食べさせるのも、親の仕事。毎日世間のお母さん方、なかなか是が大変な作業である。敬服いたします。
 まして、ここらの地区では「8月盆」境内掃除、本堂掃除、電話番、玄関先でのお話し、色々と書き物、お参りもある。その他モジャモジャとある。「7月盆」の地域が時として夏休み前に盆の行事が終わり羨ましい。

それなりに子供にも手伝いや留守番をさせたりもするが、労働者ではない。小僧ならばそれも修行の内、変な線引きと言われようが、世間様の目線と少し違う考えの親である。
 何が違うのか、世間から見れば寺の子供であるが、親から見れば唯の子供。寺という空間に暮らしてはいるが、出家者ではない。世間の子供と何ら変わりはない。少しは、世間で教えない様な事を教えてはいるが……とは言え、個の家の子としては手伝いの多い家であることには間違いない。
 寺の子供を「羅■あるいは羅児(ラゴ)」<■には目(編)+候という字が入ります。以下同様>と言う。是は、天竺(現在のインド)釈迦族王子「シッダッダ(悉達多、目的を成就した者、の意)、釈尊のことです」の子供「ラーフラ(妨げ、の意)」中国では音に漢字を当てはめ「羅■羅多(ラゴラタ)」を由来とする。
 以前、子供に「悪魔」と名付けようとしてニュースも取り上げられたが、随分昔に先輩が居たものだ。子供に「邪魔者」と名付けた。

その辺の話はさておき、
 亭主元気で……家にいると「濡れ落ち葉」、子供元気で……「腹減った」、やはり主婦の生活リズムを乱すのであるから「邪魔」羅■羅多である。しかし居ないと落ち着かない。連絡つかないと、顔を見ないと、いらぬ心配ばかりするのである。
 又それは、反対に夫や子供の立場でも同じように見られている。

自己の立場だけを守り、他者を忘れ、見失った思考は愛情に欠ける。愛(いつく)しむ、慈(いつく)しむ。今生きている私に欠けてはならぬ「大切」な部分。笑いを取り生計を立てる為の言葉が、一つの社会現象として一人歩きをしていく。しかしながら本当に「留守がよい」「子供は邪魔」と事件に繋がることも事実である。

釈尊の邪魔な子供「羅■羅多」はその後どうなったか。羅■羅多は自己の意志にて釈尊の元に出家する。今日我々は「 羅■羅多尊者」として釈尊の法の系譜の中で欠くべき存在としてその名を刻んでいる。

自己も大事ですが、同じ様に相対する者も大事です。認知症(認知不全の方がぴったりと私は思っている)の親であっても、濡れ落ち葉であろうが、鬼嫁であろうが、子供であろうとも、近所の人も、他民族、他国の人、犯罪者であっても欠くに良い人はいない。自分の主義主張と反する者も同じである。

母親の欠けた我が家庭には「潤い」が少々足りない。そんな家庭は、我が家だけで有ることを望む。

大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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