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第11稿 想いの無い、終わり。無念

亡くなった家内の残した思いとは何であろうか。各人がいつか迎える「死」その時、何を思い命を終えるのか。その時にならなければ、理解し得ないのか。
 時代劇や今日もよく使われる言葉「さぞかし無念で……」無念であれば問題なし。「さぞかし残念で……」であれば、思い残して亡くなったことになる。

亡くなる年の夏休み子供3人を一人ずつ病室に泊まらせたことは以前書いた。父親として母と子の最後であろう可能な時間の取らせ方をしたつもりである。しかしそれ以前に、母親は子供へ対する想いは既に連れ合いに対する気持ちだけのみ残していたと感じる。

一般的(?)に捉える、残る者に総てを託したのではない。託せば託すほどその想いは強くなるはずであろう。
 亡くなる1月以上前から、子供に対する想いを綴った文章は見あたらない。友人や親近者に書いた手紙には自分の居なくなった後、連れ合いに対する心配だけを綴っている。
 呼吸困難によるSPO2 (血中酸素濃度)低下による錯乱状態になったときも、最後の会話も子供に対する言葉はなかった。
 亡くなる一週間程前に訪れた友人にも、子供の話は自分からは無く、問われればハッキリとした返事をしていた。果てぬ想いを口にしたくないのではない。子供に関しては、総て連れ合いに任せたのであるから口にする必要がなかった。本当に、人に任せると言うことはそう言うことであろう。頼りない連れ合いを信ずる結果の行動である。
 夫婦と言えど元々他人同士、縁を戴いたと言えど此処まで相手を信じ切れる関係は16年間の夫婦生活で築いた唯一誇れる部分でもある。

個人的に考える夫婦の段階
第一段階
(1)一緒になる前
一人
25歳として
(2)一緒になった頃
二人
(3)妊娠した頃
二人
(4)出産前
二人
(5)出産後
三人
30歳前
第二段階
(6)育児期間
(保育所、幼稚園前)
三人以上
(7)中学校卒業まで
三人以上
(8)二十歳前後
三人以上
55歳前後
第三段階
(9)子離れ
二人
65歳前後
第四段階
(10)夫婦だけの生活
二人
第五段階
(11)一人の時間
一人
85歳前後

中には、3から9まで無い場合もあるが、50年から60年の夫婦生活を1/4弱程の時間で走った。世間には、幾らでもある話である。
 で、第6段階は知らぬ世界。

「残念」は今生きている私の想い。家内は生のある間に総てを受け入れ「無念」を会得していた。
 人は、「生きる」事に迷い苦しむ。このままを受け入れれば、迷い苦しみは存在しない。

だいもん 合掌

蛇足 子供は一世。夫婦は二世。師弟は三世。間男(浮気)はヨセ。落語の一節。
で、他人とはどうなるのか?他生の縁。お互いの繋がりを大切に。

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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