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第3稿 友達への手紙 2002.8.

どんどん三恵園(サンケイ新聞・大阪新聞厚生文化事業団の経営施設、大阪府能勢町)で働いていた人の活動が広がっていくのがうらやましかった。二回(大阪から京都へそして大阪から和歌山)大阪を離れるなんて、和歌山県は孤独でした。やりたいと思うことはあっても、少し動けば心臓がドキドキし、息切れがする。お茶を(お寺に相談や用事にこられた方々に)運んで、それ(息切れ)を知られずにするまで体が悪くなっても見た目は何でもないため、人と一緒のペースでは動けず、小さいアスミ(末娘)理由にゆっくり歩き人と一緒に行動をとると息が切れるので段々ひとりでうごく為、マイペースに見られ、自分勝手な人と見られたり、おしゃべりが好きなのでじっとしているとついついしゃべり、よけいに人から何の病気だとはわからなかったと思います。
 飲めや歌えが大好きな性格ですが、準備や用意や後片付けが一緒のペースで参加出来ないため、参加したいが遠慮してしまう。
 でも、家では病気を理解してくれる和尚や子供達にかこまれていればこのマイペースも許され、家で(座ったまま)出来る仕事を頼まれれば、うれしかった。  一日の中でも酸素の足りいてる時間、足りていない時間、その日の天候、前の日の睡眠時間等で、呼吸がしんどく、身体も苦しいため突然のこと(特に和尚外出時の来客)には対応できないときもあるのでいろいろな面で失礼をいっぱいしてきました。
 特に和尚は、私の体調を気遣い業者の人が突然来て家の中に入ろうとすると、「来るときは必ず電話してから来るように」、と(作業を)断ったりして私が病気でなければ、和尚も難しい人だと誤解もされずにと思うこともたびたびでした。
幼稚園の送り迎え、子守ボランティア、参観日、等、外で人と会う時、行事等で元気そうに見えるのは前の日に予定が入っているものに対して、家で何日も前から、又1.2日前からその日に備えて体調作りするから元気そうに見えるのです。

以下次稿へ
***括弧内は、説明と補足***

物事は周りから見て判ること、分かりづらい事、そして分からないこと。他人の行動を、いちいち観察して誰も生活してはいない。その場その場相対する人への感情はあくまでも自己の感覚に他ならない。
 人と挨拶する事すら苦しくなる。階段を一段「昇」る事は、その場で死にも直面する。リハビリならば、階段一段「登」る事は希望に繋がる。少しでも動ける間は、子供に寂しい想いをさせぬよう周りの目を見ずに動いた。呼吸器の疾患は息をする事が重労働と変わりない。

医学、医術、医療制度、医療機器、今日我々はよほどの事がない限り労せずに行為を受けられる。問題は、お互い人間に対する、人間の感覚か。それ故、何年か病院に通わず、通っても医師から病気を理解する為の説明もされず、何よりエリスロマイシンの効果も知らされず、唯「服用の事」で終わる。それでも、何の御陰か発症後15年生きた。皮肉れば、同じ症状の人より長く苦しんだのかもしれない。しかし、終の医者に出会た事は家族にしても有り難い事であった。

社会では、尊厳死・安楽死について討論される機会がある。「爾来如何」の個人的テーマにも近づくため、釈尊はどう説かれるか、次稿より触れて参ります。
だいもん 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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