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prologue

平成14年9月2日(旧7月25日)午前1時。44歳で家内は命を終える。病名「瀰漫性汎細気管支炎(びまんせい はんさいきかんしえん)(DPB)」に因る呼吸不全。家内との結論「安楽死」を選んだ。安楽死の是非を考えてもらうのではなく、余命幾ばくもない事を知りつつ彼女が何を日々見つめていたかを整理していきたい。彼女が書き残した、日々の言葉に読み手が何を感じるかを問うつもりは全くない。あくまでも、私個人の彼女へ対する懺悔であり、個人的な感傷に因るものであります。従って、彼女の書き残した文章を一人でも多くの人にふれることを供養としたい。尚、個人名や団体名は個人的判断でぼかします。また、彼女の書いた文章のまま転記します。


第1稿

14.7.27
 余命何年でパニックになっていた時、大門さんや母さん、あっちゃん医療関係の人達の励まし「ありがたい」と思えば思う程、何も出来ない自分に情け無く、何を狼狽えるのかと自分を持ち上げようにも悲しさ、怖さがそれを押しつぶすという繰り返しの日々があった。

H病院へ二回目入院した時、以前は読まなかった談話室の文庫本を取り出し、「松原泰道」さんの本に非常に感銘をうけた。一冊の本から広がっいてく本の種類。今まで手にしたことも聞いたことのない題名、著作者。以前読んだ「夏目そう石」も「森鴎外」も違った角度で読め、お釈さんや白隠さんや何百年も前の僧達・人達の言葉は、現代で生きた言葉であると知り、いい本を読んで、それを次の世代に受け継いでもらうのが大人の役割だと思った。いい本を読んでいると心も安静になり、落ち着いていく。本は良薬だ。

このように本を手にとってよめるのも、母親が「世界文学全集」「日本文学全集」「百科事典」等分厚い本を読む読まない関係なしに本棚に飾ってくれていたおかげだと思う。本を読んでもらった記憶はないが、昔話やおはなし(こわい話)をしてもらうことはあり、またよく歌をうたう母親だった。

本のある家だったから、病院生活が長くなりH病院でテレビのない生活になった時暇を本を読むことで退屈せず過ごすことができて、両親に感謝していた。

人間、生死に向き合った時、どれだけいい本(良い本)にめぐりあうかで、精神状態はかわると思う。大人は、子供達に良い本に出会える道すじをつけてあげてほしい。私は松原泰道さんの本に出会って死に対して、生(子供達のことも)に対して、少しだけ違う方向で見えるようになった。大門さん。群生・自生・安澄にも本をすすめてね。マンガばっかりやめてほしいな。

三人の子供に20才まで1年に1冊ずつ本を送ってもらえるかどうかTさんとOさん

文章はここで終わっている。 平成13年頃。子供を連れH病院に行くと、「こんな本を読んだ、あんな本を読んだ」と目を輝かして一気にしゃべる。しばらく息が整うのを待って3人の子供と談話室で倒れないだろうかと心配するぐらいよくしゃべる。その間彼女のベットは、不謹慎にも私の寝間となる。帰り際5階の窓に立ち手を振る彼女の姿に、車の窓から4人手を振りつつ帰る。夜、必ず電話が掛かる。話は何も覚えていない。覚えているのは、「来てくれて、ありがとう。体に気をつけてね。」2、3分の電話だけが、夫婦の毎日の会話であった。 合掌

「爾来如何」(じらいいかが)
「その後いかがお暮らしですか、どうされていますか」という意味になります。

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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