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第六回 ガンジス河を下る(2)

インドの旅をつづけよう。今回は、インドでは定番のタジ・マハールとヴァラナシーを訪ねてみる。

■タジ・マハールの二つの顔

タジ・マハールは世界的に知られている観光資源だ。首都デリーから東南200キロほどに位置するアグラは、ムガール帝国の最初の都である。初代の皇帝バーブルが1526年に開いたものだ。このバーブルという男は、父方の祖先がティムール、母方がチンギス・ハーンという絢爛たる系譜をもつ。むろん中央アジアのフェルガナ出身で、どうもユーラシアは面白くなかったらしく、インドに遠征して19代続いたムガール帝国を打ちたてたのである。一説には、ユーラシアで食いつめてインドに新天地を求めたともいう。

ともあれアグラはムガール帝国第3代アクバル帝にかけて栄華を極めたのだが、アグラは世界で最も美しい建築といわれるタジ・マハール廟で有名だ。宮殿のような佇まいで、白大理石の巨大なドームとミナレット、美しい庭園で知られ、インドを代表するイスラム建築である。これを造営したのは第5代皇帝、シャー・ジャハーンだが、この建物は「廟」の名の通り、壮大な墓なのである。シャー・ジャハーン帝がこよなく愛した妃ムムターズ・マハール(愛称タジ)を偲んでヤムナー河畔に建てたものだ。タジ・マハールの姿は誰もがおなじみだが、その多くは正面からとらえたものだ。写真はペルシャ紋様の柱とアーチの曲線がつくるシルエットの額縁の中にとらえたものだが、これは修復作業中の職人がフォトジェニックなアングルを特別に教えようと、指導料つきで撮影指南を受けたものだ。まあ、悪くはなさそうだ。


コンサルタント料を払って撮影したアングル

だが本当に紹介したいのはシャー・ジャハーンが眺めたタジ・マハールのほうである。第5代皇帝は建築に造詣が深く、世界中から大理石と職人を集め22年の歳月と莫大な費用をかけて1653年に完成させた。まさに国力を傾けてその愛を貫いたわけで、そのために第6代皇帝となった息子アウラングゼーブによって、対岸のアグラ城に生涯幽閉されてしまうはめになる。シャー・ジャハーンが妃を偲びつつ暮らしたアグラ城の部屋には、ベランダがヤムナー河に張り出し、2、3キロ向こうの正面にタジ・マハールを望むことができる。シャー・ジャハーンは廟を染め上げる日没を毎日心待ちしていたことであろう。陽が沈む直前、暮れなずむ地平にドームとミナレットだけが妖しく浮かびあがり、ヤムナー河の水面に投影される情景に人知れず至福に浸っていたに違いあるまい。幽閉されて7年後、シャー・ジャハーンは74歳の生涯を閉じたのであった。下の写真はアグラ城のシャー・ジャハーンの部屋から撮ったもので、あいにくヤムナー河の流れは乾季で干上がっていたので、皇帝が見たであろう情景にはおよぶべくもないが、いつかは雨季にここを訪れてみたいと思う。


薄暮がいちばん。水があれば最高!

■ガンジス河で沐浴したら

インドでは太古の昔から水や河川が人びとの信仰の対象とされてきた。なかでも最も神聖視されたのがガンジス河であることはいうまでもない。ガンジス河流域のうちでも、ここヴァラナシーはインド人にとって極めつきの聖地といっていい。右岸には60もの沐浴場(ガート)が連なり、夜明け前から人びとが陸続と集まってくる。年に100万人以上の巡礼者がインド中から訪れるという。ヒンドゥー教徒にとっての最高の歓びはガンガーで沐浴し祈ることであり、ひいてはガンガー河畔で死を迎え、荼毘に付されて骨や灰を聖なる河に流してもらうことなのだ。そのことを実感できるシーンにお目にかかった。この巡礼者の沐浴と祈る姿の、なんと神々しいことか・・・。


一人静かに沐浴し、瞑想する巡礼者

ガートはどこでも市街の河岸から石造りの階段が水中に没しているかたちだが、ヴァラナシーのような最大の聖地では旧市街の西岸沿いに60もの沐浴場がきびすを接して並び、それぞれに由来を表す名前がある。いかにも聖なる河と瞑想、祈りの静謐な空間というイメージだが、聖地に集まる巡礼者、観光客をあてにした屋台や物売り商売が列をなし、喜捨を求める子供が袖を引く、おそろしく騒々しい場というのが実態である。祈りの姿も見かけるが、多くの人びとが石鹸やシャンプーで体や頭を洗いたて、石段ではみな大量の洗濯ものと格闘しているし、石段のある一角はトイレ専用で、その真下で少年たちが泳ぎはしゃいでいるという、予習していた「聖地」とはおよそかけはなれた喧騒に満ちた世界であった。


沐浴場の一つ。早朝なのでまだ混み合っていない

さて、ヒンドゥー教徒のひそみに倣って、私も沐浴することにした。12月の北インドでは夜は冷え込むほどで、日中でも20℃前後、かのガンジス河の水は生温かった。深みまで泳いでしばし瞑想ののち真鍮製の壷に聖河ガンガーの水を満たした。巡礼者もそうするらしく、水を入れる壷だけを押し売りしていた7、8歳の少年から買ったものだ。宿に帰ってろうそく(停電が多いので常備してある)の蝋で封印して東京に持ち帰った。後日知人から聞いた話だが、その女性もここで沐浴し大腸菌やらなにやら得体の知れない細菌に侵され2ヵ月も入院を余儀なくされたそうだ。気にはなったが、どうやら無事だったようだ。


Gai(牛の意)ガートで。中央筆者

第八回
島嶼部アジア -インドネシア-
里山で遭遇した愛すべき生きもの

第七回
モンゴルの夏

第六回
ガンジス河を下る(2)

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