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第五回 ユーラシア大陸 マーワラーアンナフルの地


アラル海周辺は上下にカラクム(黒い)砂漠、
キジルクム(赤い)砂漠に挟まれる
(NASA-Earth from Space=高度230Km)

最近、中央アジア・南コーカサス諸国の経済開発に関するシンポジウムに参加した。いずれもソ連邦崩壊後、1991年に独立をはたした若い国ぐにである。シルクロードの要衝として血湧き肉踊るような歴史に彩られた遊牧民族の地、といったイメージは外の世界の人びとに共通することであろう。現にシンポジウムの議論でも、かつてのシルクロード交通網が西と東を繋いだ歴史は、現代でもそのままこの地が地政学的に優位にあることが盛んに言及された。独立以来、民族紛争の種は尽きないが、一方で豊富な石油・ガス資源をめぐって、アメリカ、ロシア、中国などの大国の野心はとどまるところがない。わが日本も技術支援を中心とするODA政策を展開中だが、どうも遠慮がちでこれら大国の後塵を拝している感がある。各国とも親日で日本に期待するところが大きいので、ユーラシアの新興国家群と、今までとは一味違った戦略的関係を構築してほしいものだ。

政治や経済はさておいて、われわれがこの地域を考えるとき、欠かせないキーワードがある。それは「マーワラーアンナフル」という表現だ。ある地域をこう呼ぶのだが、具体的な地名があるわけではない。現代ではウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタン各共和国のそれぞれ一部なのだが、パミール高原に源を発し、ヒンドゥクシ山脈を抜けて中央アジアを貫流し、アラル海に注ぐ大河アムダリアの北側の地域を指す。もともとトルコ系の民族が住む土地であったという。アラビア語では「河の向こうの土地」といわれ、古くから遊牧民が行き交い、シルクロード交易で東西を繋ぐ結節点であった。この地域の中心都市がサマルカンドなのである。


サマルカンドは石の街だ(筆者撮影)

そのサマルカンドでウズベク人に問うてみた。「ここがマーワラーアンナフルの中心だったのですね」と。宴会もたけなわの席だったが、その言葉を発した瞬間、一座は静まり返った。その場にいたのは、ウズベク人、アルメニア人、タタール人とまさに民族の坩堝を地で行くような構成だったが、おおいに盛り上がっていた雰囲気が、一転静寂に包まれてしまったのである。白けたわけではない。ややあって、一人が「よくそんな言葉を知っているな」と言い、次々と「外国人なのに・・・」、「日本人からその言葉を聞くなんて・・・」などと、感激の面持ちで献杯しきりなのである。聞けばマーワラーアンナフルという言葉は、土地の人間のあえかなる郷愁を誘い、どこに暮らしていようとも中央アジアの人びとの心の故郷なのだそうである。いわば「母なる大地」といった趣きで、中央アジアのアイデンティティと言えようか。知識としてはあったが、これほどの反応とは考えが及ばなかった。確かに彼らの琴線に触れたであろうことは、彼らの表情、目の輝きからそれと知れたことだった。ユーラシアの人と話す機会があったら、この言葉で語りかければ一挙に距離が近づくこと請け合いですよ。

ところで宴会の続きである。どうして宴会かというと、サマルカンドの陶芸家を訪ね、作品を拝見したあと、ふと振り返るといつの間にか極彩色のブハラ絨毯(ブハラ絨毯はきめ細かいデザインと色の美しさでも中央アジア随一である)が敷かれ、酒(ウォッカ)と料理が並んでいたのだ。このとき私はタシケントの陶芸家アクバル・ラヒモフ氏(人間国宝の称号をもつ)の案内で旅を続けていたのだが、訪問のアポイントがあるわけではなく突然の訪問だった。電話もなくかつて会ったことがある程度の同業者に過ぎない。車座になって席を囲むと、つぎつぎとナン(中央アジアのナンは5、6センチの厚みがある)、プロフ(羊肉のピラフ)、シャシリク(いわゆるシシカバブ)、スープ(ボルシチ)野菜、果物などが運ばれてきた。


絨毯の上に食事用の絨毯を敷いて食する(右端筆者)

手のあいている弟子やわれわれの車の運転手も混じって、さっそく宴会が始まった。もちろん酒は極上のウォッカだが、イスラム教徒はアルコールを飲まないものだと思っていたから、少々まごついたものだ。教義より客を迎えているという現実のシチュエーションの方が大事なのである。(とはいってもあの飲みっぷりからして相当好きである)宴会はまず、主人のアブドゥラーさんの挨拶が皮切りである。「アッサラーム・アライクム」(平安がありますように)の言葉とともに、両手で顔を包み込むようになであげる。その後に「見たこともない遠い国からよくいらっしゃいました・・・」から始まって「平安な旅が続くように」で締めくくる。そこでグッとグラスを干す。2、3分すると今度は同行のラヒモフさんが促される。そして次が私。答礼をする方は冒頭の挨拶を「アライクム・アッサラーム」と語順を変える。

これは予期できたので無難にこなしたが、困ったのはこのスピーチが何回も繰り返されることだった。話していて30分もしないうちに、座の誰かがやりだすのである。終わると皆が目を輝かせてこちらを見る。その都度違う内容を英語でやらなければ(英語−ウズベク語)ならないから、正直まいった。とはいえ、適当にしゃべってマーワラーアンナフルで締めくくればおおいにウケたのだった。この時は午後4時ごろから始まって9時ごろまで続いたと記録してあった。空けたウォッカが写真のメンバーで無慮8本。マーワラーアンナフルの地では客を粗末にしないのが誇りなのだ。だから、ユーラシアの地では、どこに伺っても必ずこうしたもてなしを受けるはずだ。アッサラーム・アライクム・・・。

第八回
島嶼部アジア -インドネシア-
里山で遭遇した愛すべき生きもの

第七回
モンゴルの夏

第六回
ガンジス河を下る(2)

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